2017年7月23日(日)クラクフ(Krakow)~ヴロツワフ(Wroclaw) 283km
ドイツのベルリンへ行くため、クラクフとベルリンの中間にあるヴロツワフに泊まることにした。
ヴロツワフはポーランドで第四番目に人口が多い都市だ。ウィキペディア(電子百科事典)では、「ヴロツワフは歴史上、様々な国(ポーランド王国、オーストリア帝国、ドイツ、ハンガリー、プロイセン、ボヘミア)の1部となっていたが、1945年(第二次世界大戦後)にポーランド領となった」と紹介している。属する国がころころ変わるなぞ日本人にはなかなか理解し難い。
出発地のクラクフは朝から気温は25度と高い。日中は暑くなりそうなため、夏のライディング装備で出発。10時くらいには気温は30度となるが湿度が低いため、バイクを走らせていれば汗はかかない。
クラクフからヴロツワフまでの道路は全て片側2車線の有料高速道路。 区間内に料金所が3ヶ所ある。料金は合計18ズローチ(約550円)と高くない。制限速度は120kmとなっているので、車の流れは早い。走行車線で時速160kmまで出してみた。同じスピード走っている車もいる。
日本と同じように有料高速道路沿いのガソリンスタンドの料金は一般道路より1割くらい高く一リットル当たり4.8ズローチ(140円位)。
高速道路の休憩所にはマクドナルドやサブウェイ(サンドイッチ)の店舗もある。休憩手前で当方を抜き去ったタンデムライダー(二人乗り)も休憩している。乗っているバイクは1300ccのヤマハ製の大型バイクだ(FJR1300)。地元ポーランドからドイツまでツーリング中だと言う。
高速道路沿いは黄金色の小麦畑畑が続くが、一部の畑では刈取を終えている。一ケ月前のロシアでは小麦は20~30cmの高さまでしか伸びていなかった。エストニアでは50~60cm程度までしか育っていなかった小麦がここでは刈取まで進んでいる。
高速道路を進んで行くと天気が悪くなってきた。行き先の空が真っ暗になっている。高速道路の路側帯にバイクを止め、雨具を着こみ出発すると激しい風が来た。竜巻かと思うほどの突風でバイクがふらつき、運転するのは危険と感じてバイクを路側帯に停める。バイクを止めると同時に強い雨が猛烈な風とともに来る。走行中の車もハザートランプを点滅させ、徐行運転を余儀なくされる。
雷の音も聞こえる。道路は平原の中を走っていて周りに樹木や建物がない。当方は念のためバイクから離れ、路側帯の土手下へ降りて万が一の落雷に備える。こんな時はライダーは隠れる場所が無いので辛い。
30分くらいで突風と豪雨が収まったため出発。高速道路を走っていた他のオートバイライダーたちは突風と豪雨の中どうしたのだろうかと思う。
14:30にはヴロツワフの旧市街の縁にあるホテルに到着。(Wender EDU Business Centerホテル、167ズローチ=約5千円)
ホテルは川の横にあった。
7月24日(月)ヴロツワフ滞在2日目(旧市街の散
策と休憩)
ブログを1週間以上更新していなかった。更新が無かったので心配してくれていた人もいた。ブログをしっかりフォローして読んでもらっているとは有難いと感じ、前回の更新から2日しか経っていないが、ブログの更新を行う。
更に、写真が掲載されていないシベリア区間のブログにも写真の貼り付けを行う。この作業は時間がかかり午前中だけでは終わらず、作業を中断。
宿泊するホテルは良くて2つ星~3つ星クラスのため、WiFiの接続が悪く、ブログ更新の作業ができないことが多い。ホテルを変えるたびにWiFi接続のトライ&エラーで一時間ぐらい時間が過ぎてしまう。ホテル受付付近ではWiFi接続に問題無いが、往々にしてホテルの部屋ではWiFi電波が非常に弱くなる。
前月に書き込んだブログの編集をしているうちに午後2時過ぎになってしなったので、ブログ編集を一旦中断して、旧市街の観光スポットの見学を兼ねた散策に出かける。
まずは、ホテルのスタッフに聞いた安くておいしい普通の食堂にて昼ごはんを食べる。野菜、肉、果物、生花等が売られている旧市街の市場建物内の隅にあった。
地元の人たちが利用する食堂だ。既に調理済み料理が並べられているので、メニューを見て注文するより分かりやすい。
3cmくらいの厚さの豚肉フィレの煮込みと大皿半分に盛ったフライドポテトの料理を注文する。価格は12ズローチ(約360円)と安い。購買力から価格を判断すると日本の700円~800円に相当。少し離れた観光スポットではランチが最低でもこの2.5倍~3倍だ。
旧市街の中心は旧市庁舎がある広場だ。中世の時代からある約300m四方の広場だ。
旧市街には建物の巨大さを競うように10階建てビルのような高くて巨大な一枚屋根の教会が多い。当時のカトリック教会の富と力が伺える。
7月25日(火) ヴロツワフ(ポーランド)からベルリン(ドイツ) 350km
ドイツからポーランド西部は今週長雨との天気予報のため前日から気が重い。雨の中をバイクで走るのは全く楽しくない。
出来れば雨天の走行は避けたい。しかしながらベルリンとその先のブレーメンで人に会う予定があるため、延泊せずにほぼ計画とおりのスケジュールで9:00に出発。
ヴロツワフでは前日の雨は上がり曇り空であったが、先行きの雨天を見込んで雨具を着こんで出発する。雨具を着こむと雨はなかなか降ってこないものだ。
ブロツワフから100km西(ドイツ方向)まではA4号線だが、この先は2つ道にに分かれる。南西方向のドレスデン(ドイツ)と北西方向のベルリン(ドイツ)だ。ここまでは小麦畑の中を通る高速道路。周りに山は無いので見晴らしが効く。ただし、その先は森の中を高速道路が走る。ドイツは原発を放棄した国のため、風力発電の風車を数多く見かける。
ポーランドとドイツとの国境は幅20m程度の川だ。川の向こう側の道路標識にドイツ(Deutschland)のDの文字が表示されている。ドイツのアウトバーン(高速道路)といってもこの路線には制限速度がある。時速130kmだ。走っている車は感心するほど、制限速度を守る。
ポーランドとドイツ間の国境の川
立ち寄った高速道路沿いにある無人の休憩所のトイレは掃除が行き届いて清潔だ。ドイツ人の気質が現れている。
ベルリンは大都会だ。道路の交通量が多いが、割り込み運転も無く安心して走れる。
結局雨らしい雨にはあわずに15:00には予約してあったホテル(B&B Hotel Berlin Tiergarten 一泊66ユーロ=約8400円)に到着。WiFiの接続が今までのホテルで一番良い。これもドイツ流かと感心する。
ドイツでは物価が高い。一泊5千円位を目途に安い宿をBooking.comで検索しても条件に合致すホテルはなかなか見つからない。WiFi有り、駐車場付き、専用シャワー付き個室、都心に近いが条件だ。WiFiは次の宿の予約に不可欠だ。専用シャワーは洗濯をするのに他人に気を使う必要が無いため。夕食や食料品の買い出しには都心部が便利等の理由で条件を付けている。
7月26日(水)ベルリン滞在2日目 (BMWディーラーにてバイクのエンジンオイル等の交換)
前回モスクワでエンジンオイルの交換をしてから3,500kmしか走っていないが、ドライブチェーン(車輪駆動のチェーン)の張りがが知らない間にたるんでいることに気が付く。
チェーンの張り調整をしてもらうためインタネットで検索したベルリン市内のBMWディーラーを訪れる。
BMWの車とバイクを取り扱う大きなディーラーだ。ショールームには全モデルのバイクが展示してある。程度が良い中古車(認定中古車)やレンタルも扱っている。新車価格は日本とほとんど同じだ。
ロシアのBMWのディーラーでもそうであったが、メインテナンスサービスを受ける前にディーラーではバイクの登録証記載事項を確認する。盗難車でないかどうかチェックする意味もある。
当方からメインテナンスサービスのフロント担当者にどのようなサービスをしてほしいか伝えると、同担当者が契約書を作成する。当方が契約書に署名して初めて、フロント担当者からメインテナンスサービスを行うエンジニアへバイクが渡される手順だ。
作業内容はエンジンオイル及びオイルフィルターの交換とチェーンの張り調整(チェーンの清掃と油差しは無料で行ってくれた)のみなのに随分時間がかかる。料金は167ユーロ(約2.2万円)。その内作業料金が5千円。
ベルリンを訪れた理由の一つが会社員時代の先輩に会うためであった。すでに退職しているが、元東ドイツの外交官の経歴を持つドイツ人だ。冷戦時代にモスクワ国際関係大学で日本学(日本語)を専攻し、外交官時代には東京駐在も経験した知日派ドイツ人。ロシア語、日本語、英語と多言語に堪能の上、情報収集及び分析能力が高いひとだ。現在はコンサルタントとしてベルリンで活躍している。また、日独協会の理事も務めている。
同氏の言葉を借りれば、ベルリンでは多くのベンチャー企業が創業され、欧州でも活気ある都市である。既にドイツはEU内で経済力及び政治力が抜きんで高いが、イギリスがEUから抜けるため、今後ドイツのプレゼンスがより高くなるだろうと予想する。
ドイツ企業の経営の在り方も変わってきているという。一時は米国流の市場資本主義に向かっていたが、今はドイツ流に戻っているという。ドイツは我が道をいくというころだろう。
7月27日(木) ベルリン滞在3日目 市内の歴史を見る徒歩のガイドツアーに参加
街を知るには出来るだけ徒歩で回った方が実感できる。Walks in Englishという英語のガイドについて徒歩で市内を巡るツアーに参加した。4時間のツアーで参加費用は14ユーロ(約1,800円)。
市内の待ち合わせ場所に集合後、ガイドの説明を聞き名所旧跡を見ながら約6km歩く。一人で歩くと疲れるがガイドについて歩くとなぜかあまり疲れを感じない。参加者は40名程度多い。ベルリンの中心部はこのようにガイドについて歩き回るツアーが多い。ツアーには名所旧跡探索コース、第三帝国(ナチス時代のドイツの呼び名)コース、冷戦時代のベルリンコース等複数ある。
説明に時間を費やすのナチス時代の建物やユダヤ人の書物等を焼き払った広場(フンボルト大学前広場)等歴史的な事件があった場所、東西冷戦時代のベルリンの壁等だ。最後はベルリンの象徴とも言えるブランデンブルグの門で解散。ブランデンブルグ門前の広場(パリ広場)には第二次世界大戦の戦勝国である米国、英国、フランスの大使館が並ぶ。日本大使館とイタリア大使館は戦争前にあった戦勝国大使館とは別の場所に並んで立っている。
フンボルト大学前の広場(ユダヤ人書物の焼き払い事件の場所)
かってのベルリンの壁と中立地帯の写真(東ベルリン側からみる)
現在残された旧ベルリンの壁
ブランデンブルグ門