Rosa Do Povo/Martinho da Vila | BLACK CHERRY

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JAZZ, BRAZIL, SOUL MUSIC

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 部屋の中で難しい顔して音楽を聴いているより外に出て踊りながら聴く音楽。演奏してる人々も踊ってる人々もみんな、とびきりの笑顔でね。祭り好きの自分にはもってこい。個人的には、どうしても、そういうのが好きなんで、部屋にこもって打ち込みなんかやってると、すぐに、もう我慢できなくなって遊びに出かけたくなる。ホント我ながら集中力が長く続かないのである。やっぱり、こういうのは仕方ないのかもね。部屋の中で遊んだりするのは子供の頃から大の苦手。家の中でなく、殆ど外で遊んできたし遊びに出かけると家に中々帰らないから、今のインドア派の方々には、こんな鉄砲玉みたいな男は想像つかないでしょうな。なんたって、祭りの時とか、大変だよね。の音や太鼓が聞こえてくると、もう居ても立ってもいられないわけだから。そして時が経ち大人になり、色々な試練を経て、せめて目の前の宿題をやってから出かけるようにはなれたと思う(たまに逃げ出したくなるが)。成長(というのだろうか)したものである。

 さて、本日は、その歌声を聴くと、外に出かけて踊りだしたくなってしまうMartinho da Vilaの大好きなレコード 『Rosa Do Povo』である。なんといっても、Martinho da Vilaの歌声、大好きなのである。この人の声がとにかくツボでなのある。低くて、チョイ鼻にかかったような、素朴で落ち着いた声というか、心に沁みるんですわ、この翁の声は。そして笑顔、これがまた素晴らしい。こんなオッサンが歌うノリが抜群の素朴なSamba.。こりゃ、聴いたら元気が出てくるわけだ。60年代にデビューして以来、精力的な活動を続け、多作家でもあるMartinho da Vila。そして、今年の2月に71歳になった、この爺サン、まだまだ元気に現役活動中なのだ。SambaといえばRioのCarnivalみたいに派手な踊りや大胆な衣装に観客も一体となった熱狂的なイメージが先行していたのだが、最初にMartinho da Vilaを聴いた時に、そのあまりにアコースティックで無駄を削ぎ落としながらも腰が動いてしまうノリの良さに驚かされた。


 『Rosa Do Povo』はMartinho da Vila76年の作品。『民衆の薔薇』というタイトル。ジャケットに描かれた大地を踏みしめるのは汚れた足。正にRioの裏山のSamba。たくましく伝統を受け継ぎながらも時代を映し出し、人々を踊らせ、元気にさせるエネルギーに満ち溢れた作品。決して派手ではないけれど、そこには大地にしっかりと根を張って、時には社会の暗部にさえ目を向け歌い上げるMartinho da Vilaの大らかさと力強い生命力が感じられる。味わい深いMartinho da Vilaの歌声と実に地に足が着いた演奏。そして言葉がよくわからないので非常にもどかしいが、彼らしいメッセージもあるのであろう。その独特の節回しは癖があるけれど、その土臭さが個性だ。そしてこのVila Isabelを引っ張り続けてきた翁は常に新しい試みに挑戦していこうとする姿勢も素晴らしい。昨年発売されたDVDでのLive映像でもヤラレっぱなしで、いきなりア・カペラという翁にグッと心をつかまれてしまった。声の魅力と打楽器やChorusとのかけ合いから生み出されていくノリが半端ない。基本的にはシンプルなアコースティック中心のサウンドに、あの声が響いて作り出される独特のウネリに身体が自然に動き出してしまう。そして、そこにはAfro-Brazilianとしてのアイデンティティーが強く感じられる。Samba界を代表する存在になっても、常に心は貧民街にあるのかもしれない。この作品『Rosa Do Povo』は特にMartinho da Vilaの、そういった志が強く感じられる。いつになく切なく哀愁が漂う曲調も、彼の真摯な姿勢を物語る。それでいて、みなぎってくるパワーが素晴らしいのだ。笑顔に隠された哀しみがあるのかもしれない。それでも希望を捨てずに生きていく姿勢。古くから地方に伝わる伝統のある音楽を愛し、埋もれてしまいそうな、そういった音楽光を当て続けること。

Sambaの貴公子と言われたPaulinho da Violaとは好対照の、どこまでも泥臭い、イナタさ、泥臭さ。その独特の節回しも相まって、ある種日本の演歌とも通ずるような庶民の心の奥底に眠る部分に訴えかけてくるような力を持っているのかも。

(Hit-C Fiore)