輝かしい名言の陰に隠れがちだが、歴史に残る暴言・失言は多い。
それらを耳にすると、発言者の真意や裏側を知りたくなる。
「書を日没する処の天子に」(聖徳太子)「この一門にあらざるは人非人たるべし」(平家)「貧乏人は麦を食え」(池田勇人)。
ヤマトタケルからマッカーサーまで、世を騒がせた暴言の数々をユーモアたっぷりに検証する清水版・新日本史。
暴言が真の意味での「暴言」であることは、歴史上でも稀なのかもしれないなあと思った。
たとえば、本書でも取り上げられている池田勇人の「貧乏人は麦を食え」という発言。
僕は(当然だが)この発言を実際に聞いたわけではない。
何かの本で読んで知っていてただけだ。
政治家っていうのは、逆上すると本当にすげえこと言うなあと思ってた。
だが、実際は、池田勇人は「食糧事情が悪化すれば、経済の原則として低所得者は麦を主食にせざるを得ないだろう」という、極めて当たり前のことを言ったに過ぎないということらしい。
それをわざわざ口にせんでもいいだろう、と思わなくもないが、「今の一時的な危機を乗り越え、早く皆が米を食べられるようにしなければいけない」という決意がそこに込められてたとするならば、発言の真意はまったく変わってくる。
要するに、その言葉ひとつを切り取って暴言と断ずるのではなく、話の前後や、発言をしたときの背景を考慮しなければいけないし、当然、後世の捏造である可能性も考えなくてはいけないということだろう。
そういう意味で、本当の「暴言」というのはなかなかないよなあと思うのである。
たとえば、ナ○ツネさんの「たかが選手の分際で」みたいな、誰がどう聞いたって暴言だろうという、見事な暴言はそうはない。
さすがだなあと思う(苦笑)