富神山に登った直後、予定をすっ飛ばしてこの日なんとしてでも向いたかった最終目的地へ到着。間に合った~! しゃくやく祭りの期間内に、一度は来てみたかったのです。
<関連過去記事>
⇒ 諏訪神社 フクロウのいる芍薬之杜 (2018年03月12日)
この日こそは、フクロウちゃんズに絶対会いたいと切願していると――ああ、いた!
やっと会えた~ 思いっきり不審者へ向けるような――いいえ、温かい視線を戴きました。
この2匹、名前もそのまんま「福(ふく)ちゃん」と「籠(ろう)くん」なのですが、
ええと……、どっちがどっち……?
まぁそれはいいとしまして、いつまでもこのモフモフを眺めていたかったのですが、
時々くちばしを鳴らして威嚇――いいえ、眠そうにしていたので静~かに立ち去ります。
しゃくやくは、大体この時期。日本一だそうですが、数の多さ? 種類?
――それでは、神社を参拝いたしませう。
午後4時台とあって、人もほとんどおらず、片付けも始まっていましたが、
「どうぞゆっくりしていってください」との温かいお声をかけていただきました。
その節はありがとうございました。
手水舎のわきに置いてあった、コイの木彫りの裏にもなんとフクロウ(粋ですね)。
受付でしゃくやくの維持費500円を払って(強制ではないようです)、
パンフレットも戴いたついでに、しゃくやく茶も2杯戴きました。
「芍薬」と書くほどなので、昔から薬としても人々に重宝されてきたことでしょう。
紀元前8~9世紀の中国では、3月初めに川に人々が集まり身体を清め、薬草(芍薬)を摘んで厄払う祭りがあり、それがひな祭りとして室町時代に日本に伝わったようです。
山新をとっているのに、この記事は完全に見落としていたことが判明。
厄除の社(やくよけのやしろ)、芍薬の杜(しゃくやくのもり)のこの諏訪神社は、
関ヶ原の戦いの翌年の1601年に、信州・諏訪大明神を勧請したと伝えられています。
鳥居は、地元の青御影石で製作。
<祭神> 建御名方大神
茅の輪くぐりこと、茅輪神事もありました。
人形(ひとがた)のお祓いも。
芍薬苗の販売もしておりました。なかなか咲かないと相談されることも多いようですが、簡単に咲くという人もいるので、それぞれなのでしょうか。
拝殿並びに本殿。
寄付額が書いてあるのかと思っていたのですが、歌ですかね。絵がまたいい感じ。
こういうときじゃないと、なかなか中も見られませんしね(閉じている神社が多い)。
え、お猿さん……?
養蚕の様子を描いた絵馬のようです。養蚕の神としても信仰された神社のようです。
……あ、やっぱり隠れキリシタン(正しくは潜伏キリシタン?)の神社だったんですね。
これらの彫刻は、江戸時代後期に建立された本殿の「脇障子(わきしょうじ)」部分にそれぞれあります。
左側には、マリア観音様に見立てられている彫刻。そして裏側からも。
右側には、マリア様に懇願している人。そして裏側。
両サイドの裏側。
マリア観音大神。江戸時代、弾圧に臆することなく、子守観音として建立。
確かに、十字架ですね。
小町観音大神。小野小町がこよなく愛した芍薬が縁となり、平成17年に鎮座。
病気平穏、心身健全をお守りする神様。
導稲荷大神。平成元年、京都・伏見稲荷大社より御分霊。
商売繁盛、家内安全を導く神様。
諏訪七福神。七福即生、八方円満を祈念。と、砂恩碑? 砂への感謝でしょうか。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」 (詠人不詳)
本殿の奥に、ひっそりと佇む鳥居が見えました。
「若返り水神」とあります。パンフレットに書いてある「栄縁の泉」のことでしょうか。
小さな丸い池が何だか可愛い。チョロチョロと水の音がするので、湧き水の池でしょうか。
ハート型の巣箱も可愛い。中に小鳥さんはいないようです。
――それでは戻って、色とりどりの花を愛でに芍薬苑にレッツらゴー!