第十一回・水瓶座の強みと弱み ②
こんにちは、まーさです。
ということで水瓶座の後半です。
前回は
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ある程度は一人でいたい。相手に合わせることが必須な、密な関係は苦手である。
でも本質的にはわかってもらいたいし、支えも欲しい。愛情も欲しい。
こういう矛盾した想いを抱える水瓶座が、
じゃあどうしたら“愛”を得られるかというところで終わりました。
そう、多分こういう話で問題になるのは愛ですよね。
まあどの星座でもそもそも愛は人生の焦点になりやすいから、驚きはしないんだけど。
でも水瓶座に特徴的なこういう性質に一番悩まされそうなのは、水瓶座を愛している人だし。
悩まされた結果、傷ついて去って行く人を見てまた悲しむのも水瓶座だからね。
本人としても本意じゃないと思うのですけれども。
あ、去っていくと書きましたが、
これはもちろん、「すでにそばにいた人が去る」話だけじゃないです。
本来なら水瓶座に好意を持ち(恋愛に限らず)、寄り添う可能性のあった人が、何かのきっかけで水瓶座のそういう気質を感じ取って、
「あ、何かちょっと無理かもしれないな」と思ってしまい、結果として近くに来なかった…みたいなものも、その範疇に入れています。
別れた恋人たち&実を結ばなかった潜在的な恋人たちですね(ちょっと詩的に言ってみた)。
愛の機会損失とも言える…。
改めて考えると非常に悲しいじゃないですか(涙)。
さてこの問題ですが。
やっぱりその解決に効果があるのは、水瓶座自身の深い自己分析、考察だと思います。
「とても正直なところ、
自分にとって他者とは、どのくらい重要で必要か?」
これについて本当に真剣に考えてみるといいですね。
すごく説得力のある誰かが、愛の素晴らしさを説くとか、
親兄弟が何で結婚しないの!みたいな感じで取り囲んで説教するとか、
まわり中がみんな誰かと幸せになっていて、なぜ自分だけ…と思うとか。
たとえばこういう外圧というか、外側からの影響って生きているといろいろありますけど。
水瓶座はこの手のものに、本当に影響されにくいですからね~(一見悩んでいるように見えても、その結果何も変わらないまま何年も行くのであれば、それは影響を受けているとは言えない)。
そういう人が、外から何か投入して内側を変えるって、多分難しいよ。
自分自身が、内側から(もし必要なら)本気で改革を試みなきゃ。
そのくらい水瓶座の心の壁は厚いし、
ある意味、誤解を恐れずに言うなら、偏屈な面もあるんだと思います(反素直、もしくは従順)。
まああその自分自身の考えにこだわる頑固さこそ、水瓶座をいい意味でもユニークにしているんだよね。
でも性格って、いい面だけじゃないし、そう都合よく本人であっても操れたりしないものだもの。だからこそやっかいなんだ。
水瓶座は、ある面ではすごくストレートで、純粋な性格ではあるけれど、
人の話を聞いたり、世間ではこうだからなんて言われたって、それに説得されるようなあなたじゃないでしょう。
むしろ「あ、説得しにかかっているな。でもそんなものに乗るか!」って思う自分を小気味よく感じていたりするタイプなんじゃない(笑)。
とはいえ、真面目な話。
たとえば「愛は素敵よ」「結婚はいいものだよ」と言われたときに「やっぱりそうですよね~」「いいなあうらやましい」という人と、
「へえー、全然そう思いませんけど」「一般的にはそうらしいですね」という人では。
やはり愛を得る確率は違うと思う(マジ)。
だって人は、大体発した言葉の通りの人生を歩むから。
発する言葉は、おおむねその人の本心を移すから。
実は本当は愛を熱望しているんだけど、でもその気持ちに対して素直になれなくて…反対のことばかり言ってしまうんだとしてもね。
無意識の方はその差がわからないから、「そういう生き方を自分は望んでいるんだな(愛に興味ないんだな)」とそのまま勘違いしてしまい、「愛を避ける生き方」が刷りこまれてしまうってあるらしいですよね。
それに何より、周囲はその態度のままを普通信じるでしょう。
無意識も騙されちゃうくらいだから、周囲だって、
「水瓶座は一人でいる方がいいのかと思っていたよ」「恋愛や結婚に関しても反応クールだし、関心ないのかと」と、大体思うわ。
だからたとえばこの例で言えば、別に全肯定とかする必要は全然ないと思うけど、
少しでも愛に関心があったり、誰かいたらいいよなあと思うんであれば、
「そうかもしれませんね」くらいに言っとく方が、賢いとは思います。
もちろん社交定期な意味も、人目も、いろいろな理由はありますよ?
でも一番の理由は、
自分は愛に対して“肯定的である”。
自分で自分をそう感じるようになるから。
この印象がインプットされていれば、今後愛にかかわる内容が近づいてきても、無意識に避けたり、周囲から避けられたりもしなくなるじゃない。
こういうのが大きいんですよね。
人って自分がその時々でした判断が積み重なって、
段々その人の心や考え方、行動方針をある方向に“強化”していくんだもの。
だから、たとえば何かあるたびに「自分は人の意見や感情に合わせない」をずっと選んでいけば、
「私は人に合わせない人間」に、どんどんなっていくと。
いざ急に大事な人が出来て、その人に寄り添いたくなってもなかなかうまくできないと。
そういう傾向が生まれても、おかしくないという話です。
で、判断自体はもちろんどういうものであってもかまわないんですよ。
それが自己選択ってものですから。
でもね。であるからこそ、そこから生まれる結果もダイレクトに自分に返ってくるものだし、
まさに(それが好ましくない内容なら)「身から出たさび」…となってしまうわけよ。
ということを…本当に深く受け止めてみてですね。
自分が自分らしく生きていくことの大事さと意味、そこから生まれる弊害も理解した上で、
「自分は誰かと一緒にいたいのか。
その人のために自分を変えることができるか?
それも辞さないくらい、その思いは強いものか。自分にとって必要か」
と自問自答するしかないと思うし。
それこそ、水瓶座を先に進ませる最良の方法なんじゃないでしょうか。
だって、水瓶座はそこに本当に価値を認めなければ、自分を変えようとは思わないだろうし、
きちんと考えた結果でもなければ、受け入れることもないでしょう。
でも上記のような、やることをやってみた結果、
「やっぱり彼が好きなんだ」「あの人に何としても、自分の気持ちを分かってもらいたい」
「この愛情が、ちょっとしたことで伝わらないままになるなんて、辛すぎる!」
という気持ちが、自分の最優先の思いだと感じられたら、
きっと変われると思うんだなあ。
新しい資質も付け加えられるし、部分的な改変も可能なんじゃないかしら。
だってあなたはとても合理的な人だもの。
必要だとわかっているのに受け入れられないというほど、
あなたはそもそも、感情優位なタイプではないので(幸か不幸か)。
感情的な部分に惑わされて、判断を見失う確率は、他の人に比べたら低そうに思えるし(だから頑張ろう)。
もし「え、それでも難しそう」と思うのであれば。
多分それは「自分らしくありたい」(個性の尊重)の定義づけが、
すごく小さいか…弱いからだと思います。
つまり「自分で自分の独自性を信じていないから、人とかかわるのが怖いんでしょう?」みたいなことですね。
そう、さらにぶっちゃけて言うなら、
水瓶座が人と交わろうとしない(比較的)のは、
もちろんそれを求めていないのもあるけれど、
「大勢の中にいると、自分がスペシャルであると思うのが難しくなるから」なんですよ。
これは正直あると思う。
一人でいれば、人はみんなオンリーワンだよ(それはそう)。
誰とも近づかないでいれば、孤高の存在でいれば、誰にも脅かされないもん。
でも人がすぐそばにいればいるほどね。
たとえ水瓶座だって、無意識に人と自分を比べざるを得なくなる。
「あれ、私って実はたいしたことない?」みたいに感じてしまうことだって、きっと増えるでしょう。
それは生きていれば当たり前に起こることで、
よく「すごいことを思いついた!これは誰も気づいていないだろう…と思うようなことは、大体世界で何万人かは思いついていて、何千人かはさらに先まで考えていて、何百人かは既に実行に移していて、何十人かはもうそれでそこそこ成功済みで終えかけており、数人は…それのはるか先のレベルに達していて著名である」みたいな話ありますけれども。
最初の段階で「これはすごいぞ、自分はスペシャルだ…」と思っている方が。
正直楽しいんです。一番全能感もあるからね。
でも先に進んで現実を知って、それでも「何だ、がっかり」とあきらめないで、
他の人のアイディアの存在を知っても、それでも創意工夫や、それこそ自分ならではの“オリジナリティー”を探し続け、どんどん投入し…と先に進み続けるなら。
「え、最初のアイディアは同じなのに、どうしてそこまで進化したの。何が違っていたのか…分岐点が多すぎてもはやわからん、あなたにしかできない!」
本当にこうなるんですよね。
どかんと一発大きな部分が違う、っていうのじゃない。
何もかもが、少しずつ違う、の方が実は大きな差、個性を生むものなんだ。
人がそれを成し遂げるには、やはりいろいろな種類の刺激、数多くの刺激が必要だけれど、
それは自分自身からなんて与えられないから。
そして自分以外の人たちは、それこそ存在そのものが、私に対する“異物”で“刺激剤”そのものなのだから。
むしろ水瓶座。あなたがもし生まれ持っての星の資質通り、特別な存在でありたい、個性的でありたい、唯一無二でいたいと少しでも思うなら。
いっそ今持っているものを全部はぎとって、心身ともに裸になって。
心から向き合える人たちのところに飛びこんで行った方がずっといいんですよ。
で、そこで人の服を借り、化粧品を借り、相手の手で髪を結われ、作ってもらったご飯を食べて、そこのルールにのっとって寝たり起きたりしてみるくらいでも、いいくらいなのではないかしら。
でもそういう、まさに“異文化”に全身で飛び込んで行ったって、
きっと本当に際立つべきあなたの中の光は、どこまで行っても際立つと思いますよ。
何も考えていなくても、あまりに輝いていて、
「水瓶座って本当に…○○な人だねえ。すごいよ」って、言ってもらえるんじゃないかな。
誰かとの楽しい食卓ででも、手をつなぎながら歩く楽しい道の上でも、
同時に眠りに落ちる温かなベッドの中でもね。
いつどんな場所にいたって、
あなたは唯一無二になれるんだよ。