ネーミングセンスがナイスな『フリーターズフリー』を手に入れました!

少し前に本屋で買おうと思ったら、なんと売り切れ。再入荷を待って

買いました。雑誌かと思いきや、装丁自体は本そのもの。

そして、1500円でこの充実度はお買い得だと思える内容です。

一つ難を言うのであれば、フリーター自身が手に取れるものなのか

どうか、ということ。だいぶ社会学的な要素が強い、という印象。


 これを読んで一番認識できることは、「フリーター問題はジェンダーの

問題である」ということだろうか。確かに、フリーター問題が語られる時

に、不思議なほどそこに映し出されるのは"女性”でなくて”男性”だ。

テレビをイメージすれば一番わかりやすいけれど、ありがちな映像と

しては、バンドなんかをやりつつプロを目指している男の子が出てきた

りする。フリーターの生き方をたたく文脈で出てくるのもまた男性で

ある反面、フリーターの当事者としてとりあげられるのもまた男性。

 私も、フリーターといえば男性のイメージが漠然とあった気がする

くらいだ。


 でも、実際のところ、数字にしてみるとフリーターの男女比は

2001年の時点で逆転、女性のほうが多くなった。そしてそれは

今現在も進行中のようなのだ。


 これって、やっぱり考えてみると、「男性はきちんと働くべき」っていう

規範が根強いことの表れなんだと思う。本当は女性のほうが多くて、

そのことがクローズアップされてもいいはずなのに、不思議とそういう

取り上げられ方はしない。それは、女性がフリーターであることは

あまり問題視されていないということでもある。女性がみんな等しく

社会できちんと働くべき、とは思われていない。だから女性が正社員

のようなポジションで職に就かないことは、責められないし、また問題

にもされることがない。これは本当にジェンダーで覆い隠されている

問題なんだと思った。


 でもそれは女性の側だけではなくて、男性にも敷衍していえること

なはずなわけで、「男性がみんなバリバリ働くべき」っていう考えが

壊れない限り、その考えにくみできない男性だってやっぱり辛いと

思うのだ。女性、男性どちらかだけが偏って問題化されることは、

どちらにとっても問題だろう。

 女性は、覆い隠されてしまって問題の俎上にものぼらないということ、

そして男性は「みんな働くべき」という一つのベクトルに収斂されて

しまうということだ。



 もう一つ。

最近知り合いに、夫が完全主夫である、というワーキングウーマンに

出会った。なんと、夫が寿退社をしたというのだ。おお、画期的!素敵!

とその場では思わず叫んでしまった。

 でももちろん、主夫は主夫なりに辛いようで、それはまだまだ日本

で異端視されるからという社会的な事情もありつつ、話を聞いていくう

ちに「専業」ということの辛さも大きいのだなあ、と実感したのだ。

結局明けても暮れても育児と家事とをやっていなければならないわけで、

もちろん本当にそれが生きがいで、それだけで辛くないという人もいる

だろうとは思う。でも、社会性がないところにずーっと居続けるということ

は、たいていの人にとってはやっぱり辛いんだろうなとも思う。


「主夫」という存在はそのもの珍しさもあって、ついつい喝采を送りたく

なってしまうのだけれど、それはまして女性からするとそう見えて

しまうのだけれど、単純に今まで担ってきた「専業主婦」の役割を

今度は男性が担ってくれたからといってその問題が解決するわけ

じゃないだろうな、ということを思ったわけです。

 ジェンダーを単純にひっくり返したからいいってわけではない。

それはジェンダーの問題を何も解決したことにはならない。


 やっぱり、その人の器というか、性格や適性にあったいろんなあり方

があることこそが理想的なんだろうし、そうであれば、「専業」を広げる

ことじゃなくて、「ちょこっと仕事」とか、「日によって働く時間も違います」

みたいなオランダ的な働き方が浸透することが大事なのかな、と。


 ジェンダーと労働って、大きなテーマですね。


 


「主婦化」という言葉をはじめて耳にした。

人々(女性に限らず男性も)を主婦とみなすことで、

その人が行っている労働の価値を引き下げ、その人々の

社会的な地位を従属的なものへと変化させてしまう

メカニズムのことだそう。人が主婦化されてしまうと、

無権利状態に甘んじて、低賃金(もしくは無償)でし

かも愛情をもってして働かなければならなくなる。


専業主婦の仕事を考えてみれば、たとえそれが専業主夫

であろうとも、これがあてはまることは言うまでもない。

主婦はアンペイドワークであって、しかも子育てにおいて

は愛情を注ぐことが大前提のことになっている。別に

育児放棄をしなくとも、愛情を注いでいなければ

主婦は責められるわけだから。


これは家庭内に限らず、今の若い人たちの労働においても

あてはまる状況なのかもしれない。あるいは、若い人に

限らず介護、ケアの労働においても。介護労働に携わる

現場の責任者が、みんな感情労働の役割を求められる

結果、つまり仕事の大部分が「やるせなさ、老いや死への

不安感」を聞いてあげることである結果、現場の介護労働者

たちがどんどんと心を病んで離脱していっているということを

語っていた。


 「愛情を注ぐ労働」「人のためになることができる労働」

というイメージも強調される介護であっても、やはり

低賃金で、愛情を注ぐことは余儀なくされる。もしそれを

現場で拒否したら?そのへんの実情はわからないけれど、

介護労働の現場は「労働が主婦化された」状態といえる

のかもしれない。


家庭で担われていた、主に主婦が担っていた仕事を外部化

してもなお、そこには「主婦化された労働」が残ることになる。

男女を問わず、その担い手が求められ続ける。コムスンの

事件を考えるにつけ、問題の難しさを考えさせられます。


6月18日から、日本経済新聞の夕刊にて

「社会起業家」の特集が始まったのを発見!


「イノベーションby社会起業家」というタイトル。
NPOやソーシャルベンチャーのリーダー、

社会貢献を目指す経営者などが、社会の課題に

挑む現場を追う企画です。何回続く連載なのかは

わからないけれど、日経でもいよいよ始まった

という印象です。日本における社会起業家の現在を

紹介、というかんじになるのでしょうが、他にも私が

今までに読んだ中でとても興味深い関連本があった

ので、紹介できれば。



「チェンジメーカー~社会起業家が世の中を変える」

これは、写真家の渡邊奈々さんが5年間ほど時間をかけて

世界をめぐり、社会起業家たちに自ら会い、それぞれの人の

それぞれの試みを描いたノンフィクション。あたたかい目線で

人物像が浮かび上がるタッチで描かれているので、

読むとステキな気持ちになれるだけでなく、自分も何かやって

みようという気持ちにさせられるような一冊です。


「世界を変える人たち~社会起業家たちの勇気とアイディアの力」

こちらは、アメリカのジャーナリストが、「社会起業家」の

創始者ともいえるアショカ財団のドレイトンをはじめ、

世界に広がるアショカのネットワーク上にいる人物たちを追った

ノンフィクション。アメリカのビジネススクールの社会起業家

コースでは教科書としても使われているそう。


 あわせて読んでみることをおススメしたいです。

日本の若い世代にはグッとくるものがあると思う。

私がそうなので。