最近、家族関連の凶悪犯罪が立て続けに起きていることに、改めて
考えさせられます。妻が夫をバラバラにしたり、元夫が妻をバラバラに
したり、子どもが両親を殺そうとしたり。
今年に入ってから、「家族」と「バラバラ」がワンセットになってニュース
になっているといっても過言でないくらいで、「家族」を「バラバラ」にしなけ
ればならないほど、それほどに追い詰められた状況に「家族」があるのか
もしれないと、思う。
つい先日、新刊の本ではないけれど、原宿カウンセリングセンターの
主宰者であるカウンセラー・信田さよ子さんの著書「愛しすぎる家族が壊
れるとき」を(2003、平凡社)を読んだ。(読んでみれば、タイトルの「愛しす
ぎる家族」というのは、そのままの意味合いではなくて、「愛していると思っ
ていた家族」というほうが適切ではあるけれど、そこはまあそういう含みも
持たせたタイトルなのだろう)
この著書の冒頭では、信田さんのもとに相談に訪れる多くの患者さん
からの相談をもとに、モデルケースとしての家族が紹介され(あくまで
フィクション)、その家族が壊れていくまでのストーリーが描かれている。
そこを出発点として、「家族」というものに内包されている問題が語られ
ていく。
もちろん全ての家族に、家族を解散しなければならないほどの問題
があるわけではないだろうけれど、ギリギリのところで家族解散をする
しか選択しようがない家族においては、「父親の権力」と「母子密着」が
わかりやすいくらい共通して見られることが浮き彫りにされていくのだ。
「自分こそが稼ぎ手で、家族の経済力を支えている!」
という言葉と自負を武器にする夫と、それに反抗などできるはずもなく、
夫の顔色を伺いながら子育てと家事に追われる妻。そして、ほとんど
の時を専業主婦である妻は子どもと過ごし、自分が果たしたくても
果たせなかった夢を、あるいは日々晴らせないうっぷんを、子どもへ
夢を託すカタチで、子どもへの教育にエネルギーと時間を割いていく。
でも、子どもは知らず知らずのうちに「愛情のない両親」の姿に、そして
母親の自分への過度の係わり合いに嫌気がさして、そこに応えきれない
結果が不登校なりのカタチになってあらわれる。それを自分の力が足り
ないからだと母親は自分を責め、何とか自分のプライドのために子ども
をきちんと育てようとますます躍起になり、ますます子どもは逃れようが
なくなっていく。そしてやはり、父親はその問題に目を向けようとしない、
向き合おうとしない、なぜなら仕事で疲れているから……。
そんなに一般化できないでしょう、っていう人もいるかもしれないけれど、
自分の家族を照らし合わせてみてもすごくうなづける話で、バラバラにする
憎悪までは理解できないにしても、家族の中で犯罪が起きること自体は
納得できてしまう自分がいる。「うちだって人事じゃない」、そう心のうちで
思っている人も多いんじゃないだろうか。
それで、私の身近なところでも、
そういう企業戦士みたいな父親のもとで育って、家族が壊れていく風景を
見ている私くらいの子どもにあたる子たちは、ああいうふうになるんじゃ、
企業で働く働き方をしたくないって言う。結局、社会的なステータスは築いて、
名誉も得られて、家庭内の問題には目を閉ざして、いざそこに目を向けざる
をえない状況に迫られたら勝手に家庭を捨てる選択すらできてしまう。
自分の社会的なポジションには影響を与えない。
一番信頼したかったはずの、一番愛したかったはずの家族のメンバー
によって裏切られるという体験もそうだし、家族だから、一番愛さなければ
いけないはずのメンバーだから、最後まで問題が解決されるまで一緒に
立ち向かわなければという妙な責任感もまた、憎悪につながってしまうん
だろう。