この二人って、ある意味好対照だと思う。

ウケ方を意識している、していないが逆に私のツボには

逆転してはまる。


 つまり、妙にパフォーマンスにこだわり、

若者のことを理解できるんですー、キャラが立ってるんですー

とまさしく自己主張を重ねる麻生には、「あ、そう」って思って

しまう自分がいる。

 一方で、「へえー、キャラってなんですか?」

と敵方に尋ね、「キャラクターのことだよ」と返されると、

「それじゃ、私はノーキャラだ」と即座にしれっと返す

福田さんには、クスリと笑わされてしまう。間のとり方と

とトーンの変わらなさが何だか笑いを生む人だなと思う。


 それは虎視眈々と獲物を狙うがごとく、目をギラギラ

させているアソウと、出馬を聞かれて「まだわかりませんから」

と言いながらも笑みをおさえられない不器用な福田さんの

顔とか姿勢とか受け答えにもダイレクトにあらわれてる気が

する。


 思えば福田さんは、小泉が首相だった頃に官房長官

だった。メディア対応を一手に引き受け、いわゆる調整役を

務め上げた。その頃から、表には出ないウィットをそれとなく

持っている人だなーと思っていたのだけれど、首相となると

どうなるのだろうか?


 今、政治の混乱期をとりあえず諌めるという意味でも

調整能力のある福田さんに個人的に期待したいというところ

はあるけれど、政策的なこととかはまた別にして、小泉政治

以降のパフォーマンス政治を諌めてほしいという期待もある。


 アソウになったら、アニメとマンガがわかってますという顔

をしながら、更にパフォーマンス性を強めていくだろう。でも

若い人にそのことをいくら秋葉原で強調したって、若い人に

とって切実なのは雇用とかの話でしょう?オタク文化をもって

して、若い人のためになるどんな政治ができるというのか?

「タロウ、タロウ!」と歓声をあげながら応援をする若い人たち

は、そのへんをどう思っているのか、はなはだ疑問だ。


 受ける受けないがそのまま人気に比例してしまうのは

小泉の時で十分だろうに。





先日、「ああ、一つの時代が終わったなあ」ということを初めて

感じました。人生25年間を生きてきて初めて、”時代”という言葉が

自分にとって理解可能なものになった、時代が動くのを感じた、

そんな感覚にとらわれました。


といっても私のいう”時代”は鎌倉時代とか江戸時代とか、

後世から見た歴史的な区間のくくりとしての”時代”ではなくて、

もっとプライベートな時代の動き。それは、自分の成長を長年

見守り続けてくれた人がこの世を去っていくという誰もが経験

することを通じてなのですが。


例えば子どもの頃、 車の後部座席に乗って、安心しきって

道中ずっと眠っていられた妙な安心感。

両親に叱られてもなお、祖父母が無条件に守ってくれる

という子どもながらの経験則と淡い期待。

毎休み大勢の家族がワイワイ集まる賑やかさと幸福感。



そういうものが再び訪れるとするならば、それは自分が今度

は与える側になる時なのだなーという、これまた当たり前の

ことを、まざまざと思い知らされました。幸せのカタチは

同じカタチではもう訪れてくれない。小さい時の無条件に

委ねられる感覚って、今になってみるとすごく希少に思えます。





 『トカトントン』というのは、太宰治の小説のタイトルですが、

この言葉の響きがたまらなく好きです。トントンカラリ、トンカラリ

みたいな日本昔話的なリズムを感じるので。そしてこのリズム

からは、一つラッキーなことが起きると、すぐにまたいいことが

起きて、水車が回るがごとく好循環に突入した!みたいな気分

になれる幸せな響きもある。


 この前、ものすごくアンハッピーなできごとがあって、一気に

奈落の底に突き落とされたような絶望感を感じていた時に、

急にあるできごとをきっかけにそこから抜け出せた、と感じた

ことがありました。それは、ほんとにアンハッピーなできごとに

頭と心を悩ませながら最寄り駅から自宅に向かって、トボトボ

と歩いていた時のできごと。


 そもそも、疲れ果てていたので、タクシーで帰ろうかどうかと

いう選択で頭をまた悩ませていたけれど、あみだくじ的に歩いて

帰ることを決意して、歩き始めていたというところでした。

ところがやっぱり、歩き始めて5分くらいしたところで、あまりの

疲れにその選択を後悔し始め、気分は更に盛り下がる。ああ、

やっぱりタクシーに乗りたい、乗りたい、と思って道端で待つも

のの、駅から近いために、乗車中のタクシーばかりが通り過ぎて

いくのです。あきらめてまた歩き始めた時、駅とは全く別の

方面から、住宅街の中から空車のタクシーが!

 

 なんだか、この時のタクシーが白馬の王子様のように見えて

しまって、すぐさま手を挙げて乗り込むと、運転手さんがとっても

いい人で、小さなことだけど、最悪のところから脱したと勝手に

思い込んでみたほど。



 そしてその翌日、取材のカセットテープを取り出して、さて

原稿を書き始めようとテープに手を伸ばした時のこと。

なんと、テープの一部が中で絡まったあげく、更に一部は

外に飛び出しているのを発見。これで取材の全てがパー

になるかと思い、でも諦めるわけにはいかず、思い切って

テープのプラスチック部分をパカッと開けて、手で丹念に

巻きなおすことを決意、決行したのです。それはそれは気の

遠くなるような作業で、額に汗はにじむし、作業の細かさに

肩は凝るあり様でしたが、最後の最後を巻き終えて、

プラスチック部分を再びはめて、レコーダーのスイッチを

オン!


 ところどころ聞こえは悪いものの、完全に復元されて、

巻きなおす作業そのものもだけれど、何かがきれいに

はまった感触が得られて、またまた気分が上向いたのでした。


 全然、トントンカラリという言葉の響きとは程遠いけれど、

小さい些細なことが、自分にとっていいタイミングで続いて

くれて、勝手に何だかいいこと起こりそうと思い込めるように

なった瞬間でした。思い込みができることって大事だと実感。



 そして、『トカトントン』は「ヴィヨンの妻」に収録されてます。

この夏読みます。この前、芥川とった諏訪哲史さんの『アサッテ

の人』との絡みもあって。両方ともお手元にぜひ。