「主婦化」という言葉をはじめて耳にした。

人々(女性に限らず男性も)を主婦とみなすことで、

その人が行っている労働の価値を引き下げ、その人々の

社会的な地位を従属的なものへと変化させてしまう

メカニズムのことだそう。人が主婦化されてしまうと、

無権利状態に甘んじて、低賃金(もしくは無償)でし

かも愛情をもってして働かなければならなくなる。


専業主婦の仕事を考えてみれば、たとえそれが専業主夫

であろうとも、これがあてはまることは言うまでもない。

主婦はアンペイドワークであって、しかも子育てにおいて

は愛情を注ぐことが大前提のことになっている。別に

育児放棄をしなくとも、愛情を注いでいなければ

主婦は責められるわけだから。


これは家庭内に限らず、今の若い人たちの労働においても

あてはまる状況なのかもしれない。あるいは、若い人に

限らず介護、ケアの労働においても。介護労働に携わる

現場の責任者が、みんな感情労働の役割を求められる

結果、つまり仕事の大部分が「やるせなさ、老いや死への

不安感」を聞いてあげることである結果、現場の介護労働者

たちがどんどんと心を病んで離脱していっているということを

語っていた。


 「愛情を注ぐ労働」「人のためになることができる労働」

というイメージも強調される介護であっても、やはり

低賃金で、愛情を注ぐことは余儀なくされる。もしそれを

現場で拒否したら?そのへんの実情はわからないけれど、

介護労働の現場は「労働が主婦化された」状態といえる

のかもしれない。


家庭で担われていた、主に主婦が担っていた仕事を外部化

してもなお、そこには「主婦化された労働」が残ることになる。

男女を問わず、その担い手が求められ続ける。コムスンの

事件を考えるにつけ、問題の難しさを考えさせられます。