訪問日:2023年10月
所在地:神戸市中央区
昭和20年(1945)第二次世界大戦終結後、日本に残った在日朝鮮人の子供らは、それまでの日本内地の教育により朝鮮語の読み書きが十分にできなかったことから、日本各地で国語講習所が開設された。
これらは個人宅、地元小学校、工場跡地などを借りて民族教育を行った。さらに同年10月15日に結成された在日本朝鮮人連盟(朝連)により、学校の形を整えていった。
朝鮮半島の政治情勢が悪化した昭和22年(1947)10月、連合国最高司令官総司令部(GHQ)総司令官ダグラス・マッカーサーは日本政府に対し、在日朝鮮人を日本の教育基本法・学校教育法に従わせるよう指令する。
昭和23年(1948)1月、文部省学校局長は各都道府県知事に対し、以下のような通達を出し、朝鮮人学校の閉鎖と生徒の日本人学校への編入を指示する(朝鮮学校閉鎖令)。
①在日朝鮮人にも日本の公私立学校に就学する義務がある ②私立学校は学校教育法に定める認可を受けなければならない ③義務教育機関における各種学校は認めない ④朝鮮語教育は課外で行っても差し支えない
4月10日、兵庫県知事・岸田幸雄が朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令、14日に朝連が兵庫県庁を訪れ知事との交渉を要求する。23日、警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校・東神戸校を封鎖する。
24日、封鎖に抗議する在日朝鮮人や彼らを支持する日本人らが県庁前に集結し、その後約100名が県庁内に突入、知事室に乱入して知事らを拉致監禁、知事は彼らの諸要求受け入れを誓約する。
しかし同日夜半、知事らは占領軍兵庫県軍政部に招集されて非常事態宣言が発令され、兵庫県と神戸市の全警察官が米軍憲兵司令部の指揮下に入り、乱入者の徹底検挙を命じるとともに、知事の誓約を無効とする。
25日から検挙が始まり、28日には非常事態宣言も解除された。戦後の非常事態宣言は、現在のところこれが唯一の事例である。検挙された者は1590人とも7295人ともいう。
5月5日、文部大臣と朝連教育対策委員長の間で、
「教育基本法と学校教育法を遵守する」「私立学校の自主性の範囲内で朝鮮人独自の教育を認め、朝鮮人学校を私立学校として認可する」との覚書が交わされた。
なお、大韓民国の樹立宣言は1948年8月15日、朝鮮民主主義人民共和国建国は1948年9月9日のことであり、当時の在日朝鮮人は日本国籍を持つものの、当分の間これを外国人とみなすとされていた。
以下、現地案内板より
兵庫県公館 ご案内
フランス・ルネサンス様式のこの建物は、建築家山口半六の設計で、1902(明治35)年、4代目の県本庁舎として誕生しました。
戦災により外壁を残して焼失しましたが、戦後2度の修復により明治の面影を色濃く残す兵庫県公館に生まれ変わって、100年以上にわたる兵庫県の歴史を見つめています。