①駅舎
②夕景
③785系すずらん
④プラットホーム
⑤駅名標
⑥お知らせ
訪問日:2018年11月
所在地:北海道白老郡白老町
2018年11月に訪れた白老駅が2020年にリニューアルされ、随分綺麗になったようだ。「ウポポイ 民族共生象徴空間前」という副駅名称も付けられたという。
文化庁HPによると、ユネスコは2009年に日本の言語・方言(ユネスコでは言語と方言を区別せずLanguageで統一)の中で8言語が以下の通り消滅の危機にあると発表した。
【極めて深刻】アイヌ語 【重大な危機】八重山語 与那国語
【危険】八丈語 奄美語 国頭語 沖縄語 宮古語
近世までアイヌ民族は、北海道本島とその周辺島嶼、東北地方北部、樺太(サハリン南部)、千島列島、カムチャッカ半島南端部に居住しており、アイヌ語が話されていた。
アイヌ語も地方によって、大きく北海道アイヌ語・樺太アイヌ語・千島アイヌ語に分けることができるが、アイヌ民族には民族全体を統べる勢力がなかったので、標準語や中央語といったものはなかった。
蝦夷松前藩はアイヌが日本語を使用することを禁じていたといい、ロシア帝国が南下政策によりアイヌと接触を始めると、幕府は蝦夷を直轄化し、アイヌの同化の試みが始まった。
東北地方のアイヌは近代に入るまでに同化され、地名やマタギ言葉などに痕跡を残すのみとなった。明治になると日本語話者が大量に入植し、日本語教育が開始され、(北海道)アイヌ語の地位は瞬く間に低下した。
安政元年(1855)日露和親条約により、千島列島の択捉島と得撫島の間に国境が定められたが、樺太については定めることができず、慶応3年(1867)の交渉(日露間樺太島仮規則)でも定まらなかった。
日露は互いに大量の移民を送り込み、樺太では日本人・ロシア人と先住民であるアイヌの三者で不穏な状況となり、日露間では紛争が頻発する。
明治8年(1875)日露間で樺太・千島交換条約が締結され、日本は樺太での権益を放棄し、得撫島以北の千島18島を譲渡された。当然、そこにアイヌの意向が反映されることはなかった。
樺太や千島列島のアイヌは3年以内に日露どちらかの国籍を選ぶことを強要された。北千島の占守島では、明治17年(1884)106人の千島アイヌのうち日本国籍を選択した97名が当時無人の色丹島に移住させられた。
生活環境の変化により、明治32年(1899)までに63人が死亡した。残った人々も昭和20年(1945)ソ連による北方領土占拠により、色丹島をも追われた。
また樺太南部は、明治38年(1905)日露戦争時のポーツマス条約により日本領となっていたが、昭和20年ソ連に占拠され、樺太アイヌのほとんどは北海道各地に逃れた。
千島アイヌ・樺太アイヌの文化は衰退し、千島アイヌ語・樺太アイヌ語はほぼ消滅した。北海道アイヌ語のネイティブもわずかとなったが、ウポポイのような保存運動が行われている。