摂津 六條八幡神社 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

①社殿・三重塔②拝殿と本殿③三重塔④三重塔⑤薬師堂⑥鳥居

 

訪問日:2023年4月

 

所在地:神戸市北区

 

 六条八幡神社三重塔は、文正元年(1466)当時の神宮寺・円融寺の三重塔として鷲尾綱貞により建立された。薬師堂も円融寺の遺構という。円融寺は明治初年の神仏分離令により廃された。

 

 綱貞は村の有力者で、その祖は源義経に召し出され、鵯越の道案内役として一ノ谷の戦いの勝利に貢献し、最期は義経と命運をともにしたという鷲尾三郎(諱名は義久・経春とも)だという。

 

 三郎は平家に所領を追われてこの地・山田庄に落ち延びていたとされる。かつての山田庄の領主が源為義であったことも、義経に協力的だった理由かもしれない。

 

 六条八幡神社は足利家代々の篤い尊崇を受け、山田庄も栄えていたのだろう。しかし鷲尾氏は天正6年(1578)に始まる三木合戦で別所氏に与し、敗れて帰農したものと思われる。

 

 寛政年間(1789-1801)に刊行された『摂津名所図会』には、栗花落氏・千年旧屋とともに「鷲尾故屋」が描かれ、「よしつね腰かけ石」なるものも記載されている。

 

 鷲尾故屋は現在田んぼとなって燈籠だけが立っているというが見逃してしまった。その南側の山には鷲尾家の墓も残っている。

 

 

以下、現地案内板より

 

六条八幡宮

鎮座地 神戸市北区山田町中字宮ノ片57

御祭神 應神天皇

由緒

 当八幡宮は『摂州丹生山田六條八幡之縁起』によれば、往古神功皇后が三韓征伐に向かう途上、「我が山の丹土で舟、兵具を塗り、軍衣を染め、丹浪を以て出陣すれば勝利疑いなし」という丹生都比売命(西方の丹生山に鎮座する丹生神社の御祭神)の御神託により、斎戒沐浴して丹生都比売命を氏神と仰ぐ丹生氏族より丹土を授かるために営んだ行宮址と伝えられています。

 時は流れて平安時代の中期、長徳元年(995)に周防国大嶋郡(現山口県)の基燈法師が各地を巡錫して当地に至り、行宮址を神功皇后の御子應神天皇が修営された霊地である事を夢想の霊告に感じ、黒木の宝殿一宇(若宮八幡宮)を建立されました。

 更に時を経た平安時代後期、保安4年(1123)に丹生山田庄の領主であった六條判官源為義が、京の六條左女牛井(醒ヶ井)の自邸(源氏堀川館)に祀る左女牛八幡大神を勧請合祀し、いにしえの若宮八幡宮を再造しました。これにより御神威は愈々増し、為義の称号をとって「六條八幡宮」と呼ばれるようになりました。

 現在、神戸市北区山田町を中心とする地域の総鎮守として、また厄除けの神として多くの崇敬を集めています。

*左女牛井は源氏堀川館にあった井戸で京三名水の一つです。(下京区堀川通五条下る西側に石碑あり)

*館のお社は陶器神社の通称で有名な東山区の五条坂に鎮座する若宮八幡宮です。(江戸時代に現在地へ遷座)

境内社

稲荷神社 宇迦之御魂神

住吉神社 住吉三神 神功皇后

山王神社 大山祇神

大歳神社 大歳神 高良神

猿田彦神社 猿田彦神

祭日

1月19日 厄除祭引目神事

9月第3日曜日 神幸祭 神輿渡御

10月第2日曜日 例祭 流鏑馬神事(神戸市登録 無形民俗文化財)

三重塔 文正元年(1466建立) 国指定重要文化財

 

 

国指定重要文化財(建造物)

八幡神社三重塔

指定日:大正3年(1914)4月17日

所在地:神戸市北区山田町中字宮ノ片57

時期:室町時代中期(1466年)

 

 六条八幡神社の神宮寺、円融寺(明治初年に廃寺)の三重塔です。文正元年(1466年)3月の棟札が残されており、室町時代中期の8代将軍足利義政の頃、神社の世話役であり、この地方の有力者であった鷲尾綱貞によって建てられたものです。

 三間三重塔婆で緑の木々を背景に柔らかな檜皮葺(桧の皮で屋根をふく)、組物は三手先、総円柱を立て、中備えに間斗束を配し、上層を区切る細縁勾欄(手すり)など優美な姿を見せています。軒先の強い反りも流麗で、相輪・仏壇も素朴ながら精巧なものです。組物のところどころに朱が残り、創建当時は朱塗りの艶やかな姿であったことを偲ばせます。

 

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