訪問日:2020年2月
所在地:奈良県奈良市
運慶は奈良仏師・康慶の子として生まれた。生没年は不明、長男・湛慶(1173-1256)次男・康運(?-1236?)3男・康弁(生没年不明)4男・康勝(生没年不明)5男・運賀(生没年不明)、6男・運助(生没年不明)も仏師となり慶派の発展に寄与した。
その運慶の現存する最古作は安元元年(1175)に製作を開始し、翌年に完成した円成寺の大日如来像で、11月24日に注文を受け、安元2年(1176)10月19日に寺へ奉渡したという。仏身料は上品八丈絹43疋だった。もちろん国宝。
治承4年(1180)に平重衡による南都焼討で焼失した東大寺・興福寺の再興造像に康慶・運慶ら慶派が京都仏師とともに携わる。一方で文治2年(1186)には北条時政発願の伊豆願成就院の阿弥陀如来像などの鎌倉幕府関係の仕事にも携わっている。
建久7年(1196)からは康慶を中心に東大寺大仏の両脇侍像と大仏殿四隅の四天王像(各14m)の造立に携わり、増長天の大仏師を担当した(これらは後に焼失している)。そしてよく知られるのが建仁3年(1203)の東大寺南大門金剛力士像である。
運慶作(指導含む)と確認されている現存仏像は
●大和・円成寺 大日如来坐像(安元2年・1176)国宝
●伊豆・願成就院 阿弥陀如来像、不動明王及び二童子立像、毘沙門天立像(文治5年・1189)国宝
●相模・浄楽寺 阿弥陀三尊像、不動明王立像、毘沙門天立像(文治5年)重文
●大和・東大寺南大門 金剛力士立像(建仁3年)国宝
●大和・興福寺 弥勒仏坐像(国宝)、無著菩薩・世親菩薩立像(国宝)など北円堂諸仏(建暦2年・1212)
●相模・称名寺光明院 大威徳明王像(建保4年・1216)
運慶作と推定されるものは
●大和・興福寺 木造仏頭(文治2年・1186)重文
●紀伊・金剛峯寺 八大童子立像(建久8年・1197)国宝
●山城・六波羅蜜寺 地蔵菩薩坐像 重文
●下野・光得寺 大日如来坐像(建久10年・1199以前)重文
●三河・滝山寺 聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像(正治3年・1201)重文
●宗教法人真如苑蔵 大日如来坐像(建久4年・1193)重文
この他にも運慶作と思われる作品がいくつもある。
建仁3年(1203)東大寺総供養の際、運慶は奈良仏師として初めて法印に任ぜられた。晩年は専ら源実朝(持仏堂)北条政子(勝長寿院)北条義時(大倉薬師堂)などの鎌倉幕府要人からの注文を受けた。貞応2年(1224)死去。
以下、パンフレットより
忍辱山 圓成寺
円成寺は、天平勝宝8年(756)、聖武・孝謙両天皇の勅願により、唐僧虚瀧和尚の開創と伝えられているが、史実的には万寿3年(1026)命禅上人が十一面観音を祀られたのが始まりである。天永3年(1112)迎接上人が阿弥陀如来を祀り、仁平3年(1153)仁和寺の寛遍僧正が東密忍辱山流を創められ寺門が栄えた。文正元年(1466)応仁の兵火で主要伽藍を焼かれたが、程なく栄弘阿闍梨が再興し、次いで文明13年(1481)朝鮮に使して高麗版一切経を請来した。江戸時代には寺中23寺、寺領235石を有する寺院であったが、明治維新後、寺領を失い、今の境内と建物のみを残した。近年、本堂の解体修理と仏像の補修、庭園の整備を行い、多宝塔を再建して、寺観を整えた。