播磨 刀田山 鶴林寺 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①本堂

イメージ 2②太子堂

イメージ 3③鐘楼と本堂

イメージ 4④常行堂

イメージ 5⑤護摩堂

イメージ 6⑥仁王門と三重塔

 

訪問日:2015年12月

 

所在地:兵庫県加古川市

 

 戦国時代、播磨の多くの社寺は戦火に巻き込まれたが、鶴林寺は姫路城主だった黒田職隆・孝高(官兵衛)の説得に応じて織田信長に寺領を差し出したため、現在も国宝の本堂・太子堂をはじめ、多くの建築物や美術品などの重要文化財が残っている。

 

 しかし、鎌倉・室町時代の最盛期には寺坊三十数ヶ坊、寺領2万5千石を誇ったが、江戸時代には8ヶ坊・117石に激減している。

 

 国宝本堂は、棟札から応永4年(1397)の建築といわれ、秘仏の薬師三尊像と二天像(いずれも重要文化財)を安置している。

 

 国宝太子堂は本来は法華堂と呼ばれていた。屋根板の鎌倉時代の墨書から天永3年(1112)の建築といわれており、本尊釈迦三尊像(重要文化財)を安置している。

 

 また、壁面に描かれた平安時代作の聖徳太子像と九品来迎図・仏涅槃図は黒ずんでいるため肉眼では確認できなかったが、赤外線写真で全貌が明らかとなり、重要文化財に指定されている。

 

 

以下、現地案内板より

 

国宝 本堂

応永4年(1397)
本尊:薬師如来 日光菩薩 月光菩薩 持国天 多聞天
お前立ち:日光菩薩 月光菩薩 十二神将

 

 仏教の説法を聞いたり行うところから大講堂とも呼ばれている。
 13世紀頃に中国から唐様(からよう)と天竺様(てんじくよう)とよばれる新しい建築様式が伝わり、14世紀頃に従来の和様(わよう)と折衷(せっちゅう)した様式ができあがった。この本堂はその折衷様式の最もすぐれた建築である。
 内部は、中央で内陣と外陣にわけられ、内陣には美しい立派な宮殿(ぐうでん)があり、その中に、60年に1回開帳される10世紀ごろの秘仏が5体まつられている。外陣では折衷様式の美しく力強い建築美が見られる。
 なお、内陣の板戸には日本最古の鶴の絵などが描かれている。

 

平成8年12月

 

 

国宝 太子堂

天永3年(1112)

本尊:釈迦如来 文殊菩薩 普賢菩薩 四天王

 

 兵庫県下最古の建築で、聖徳太子ご創建の聖霊院(しょうりょういん)の後身として太子堂とよばれているが、本来は西方にある常行堂と対をなす天台宗最古の法華堂である。
 桧皮葺き(ひわだぶき)の美しい屋根に宝珠がのせてあり、内部は正面に礼堂があり奥が3間4面の内陣になっている。
 天井は小組格天井(こぐみごうてんじょう)とよばれるぜいたくな天井である。
 須弥壇(しゅみだん)後方の板壁には、表に九品來迎図(くほんらいごうず)、裏面には涅槃図(ねはんず)、天井小壁には飛天図、その他長押し上の小壁、四天柱などからも創建当時の壁画が、昭和51年に赤外線写真によって発見された。しかし今なおススにおおわれ肉眼では見ることができない。

 

平成8年12月
 
 
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