播磨 黒田城 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①遠景

イメージ 2②遠景

イメージ 3③案内標識

 

訪問日:2012年11月

 

所在地:兵庫県西脇市

 

 異説の扱いだが、黒田官兵衛を輩出した黒田氏は赤松氏の庶流で、播磨国多可郡黒田庄の土豪という説があり、荘厳寺には官兵衛や正室・櫛橋光、黒田重隆、小寺職隆ら黒田一族の位牌が納められている。

 

 江戸時代末期のものと思われる荘厳寺本黒田家略系図によると、播磨黒田氏は観応2年(1351)以来9代、二百数十年にわたり黒田城主として続いてきたという。

 

 重隆は8代目で、その子・9代目治隆の時に石原氏、赤井氏と戦って討死し、黒田城も落城して滅んだが、治隆の弟・官兵衛孝隆(孝高)が小寺職隆の養子となって姫路城主になったとされている。