備中 日照山 国分寺 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①五重塔

イメージ 2②五重塔

イメージ 3③五重塔

 

訪問日:2001年12月

 

所在地:岡山県総社市

 

 現在の備中国分寺は奈良時代に聖武天皇の詔により全国各地に建立された国分寺の1つ・備中国分寺が廃寺となっていた同じ場所に、備中高松城主・清水宗治が天正年間に再興したものと伝えられている。

 

 創建当初の国分寺は寺域が東西160m、南北180mで、中世初期まで存続していたと考えられ、南門・中門・金堂・講堂と高さ約50mの七重塔があったと考えられている。

 

 宗治が羽柴秀吉と戦い、天正10年(1582)信長が本能寺に自害した2日後に切腹したあと、宗治が再興した国分寺は再び衰微していたが、幕府旗本の蒔田氏により享保2年(1717)より再建に着手された。

 

 現在に残る五重塔(重要文化財)は文政4年(1821)から弘化元年(1844)までの20年余の歳月をかけて完成されたものである。

 

 文久3年(1863)蒔田広孝は高直しにより1万石とされ、大名になっている。再建に時間はかかったとはいえ裕福な家系だったのだろうか。