播磨 天神山城(赤羽城) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①遠景

 

訪問日:2001年7月

 

所在地:兵庫県加古川市

 

 嘉吉元年(1441)櫛橋則伊が9歳の時、嘉吉の乱で赤松満祐に殉じた父を失って仏門に入った。

 

 長禄2年(1458)長禄の変により、赤松政則が加賀半国守護となり赤松氏再興を果たし、さらに応仁元年(1467)応仁の乱に乗じて播磨国を奪還した際に則伊も還俗して政則の家臣に名を連ねた。

 

 文明13年(1481)天神山城を築いて居城とし、前領主である山名氏とたびたび合戦に及んだ。

 

 文明15年(1483)山名氏と結んだ松田元成が赤松氏に叛くと、浦上氏らとともに備前福岡城に籠り元成と戦うが、政則が但馬で山名氏に敗れ、後詰の可能性を絶たれて開城した。

 

 文明17年(1485)政則の旧領奪還戦に従い、蔭木城・坂本城攻略に功を挙げたが、翌文明18年(1486)亡くなった。

 

 黒田官兵衛の正室である櫛橋光は則伊の曽孫である。