ブリュッセル 王宮(Palais Royal) | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①全景

イメージ 2②正面

イメージ 3③前庭

イメージ 4④玄関ホール

イメージ 5⑤王座の間

イメージ 6⑥鏡の広間

 

訪問日:2013年8月

 

所在地:ベルギー ブリュッセル

 

 1813年ナポレオンの支配から脱却した現在のベネルクス三国に相当するネーデルラントに、1815年のウィーン会議により、正式にネーデルランド王国が成立した。

 

 しかし1830年、カトリックの国家としての独立を目指してベルギーは独立を宣言、プロテスタントであるネーデルラント国王・ウィレム1世はこれを認めなかったが、事実上の独立を果たした。

 

 ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ家のレオポルド・ジョルジュ・クリスチャン・フリードリヒは1831年、ベルギーからの国王就任要請を受けてレオポルド1世としてブリュッセルの王宮で即位した。

 

 1839年のロンドン条約によりウィレム1世らもようやく独立を認めて、ベルギーは永世中立国を宣言して正式に独立する。

 

 1865年レオポルド1世が崩御して王太子のレオポルド2世が即位する。国王は植民地獲得を目指して世界各地を物色、アフリカのザイール川流域のコンゴに目をつけ、1885年のベルリン会議で「コンゴ自由国」を私領地として列強に承認させた。

 

 当初は私財を注ぎこんで近代化を進めたが、次第に利益を優先するようになり、コンゴ先住民に対する残虐な圧政と搾取に国際社会の非難が殺到し、1908年ベルギー国家に委譲して、コンゴは私領からベルギー領コンゴとなった。(1960年に独立)

 

 レオポルド2世は世継ぎに恵まれずに1909年に崩御、甥のアルベール1世が即位する。国王は第一次世界大戦でドイツがベルギーの中立を犯し、国内を通過すると「ベルギーは道ではない、国だ」と語り、戦力で劣りながらも終戦までベルギーを守り抜いた。登山が趣味だったが1934年遭難死している。

 

 王太子のレオポルド3世が即位し、第二次世界大戦を迎えた1940年、ナチス・ドイツ軍の侵攻を受けたベルギー軍はついに降伏し、政府はロンドンに亡命政権を樹立したが、国王一家はブリュッセルに残る。

 

 国王自身はナチスへの協力を拒んで王宮に監禁されたものの、フランスは彼を反逆罪で起訴し、亡命政府はその支配権を認めなかった。

 

 後にオーストリアに移送された国王一家は1945年5月、アメリカ陸軍により解放されたが、戦争中の行動により6年間スイスに留まった。1950年、国民投票により復帰が認められたが、国内の分裂を招き、翌年王太子のボードゥアン1世に譲位した。

 

 1990年、カトリック教徒のボードゥアン1世は子供に恵まれなかったこともあり、妊娠中絶法案への署名を拒否、一時統治不能状態とされ、内閣が代理で署名した。

 

 1993年ボードゥアン1世が崩御し、弟のアルベール2世が即位、2013年7月、アルベール2世の譲位を受けて王太子のフィリップが7代目国王に即位した。