淡路 岩屋城(絵島ヶ丘城) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①遠景

イメージ 2②絵島

 

訪問日:2001年9月

 

所在地:兵庫県淡路市(旧津名郡淡路町)

 

 天正9年(1581)淡路島は羽柴秀吉により平定され、仙石秀久が洲本城に入って淡路を治めた。天正13年(1585)讃岐高松城に移った秀久に替わり、脇坂安治が淡路に入部する。

 

 安治は水軍を率いて文禄・慶長の役に参戦する。関ヶ原では西軍に付いたが、当初より徳川家康と通じており、本戦では西軍の平塚為広、戸田勝成の両隊を壊滅させて所領を安堵された。

 

 安治は慶長14年(1609)伊予大洲城に移封され、藤堂高虎預かりとなり代官が入ったが、翌慶長15年(1610)、淡路は池田輝政の三男で家康の外孫の忠雄が6万石で領することとなり、輝政は洲本城に代わり新たに岩屋城を築いて、9歳の忠雄に代えて代官を置いた。

 

 しかし、慶長18年(1613)、淡路に入国した忠雄は岩屋城に替えて由良に新城を築き移ったので、この岩屋城はわずか4年ほどで廃城となった。

 

 城跡の先の岩屋港近くには伊弉諾と伊弉冉の国生みで最初に生れた「おのころ島」との伝説がある絵島がある。「平家物語」では平清盛が絵島の上の月を愛でながら歌会を催したとあり、西行法師は「山家集」の中で「千鳥なく 絵島のうらに すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」と歌っており、古くからの月の名所だった。