摂津 神呪山城(神呪寺) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①神呪寺本堂

イメージ 2②本堂と甲山

イメージ 3③境内への参道

イメージ 4④西宮市街を見る

イメージ 5⑤遠景

イメージ 6⑥大坂城残念石


訪問日:2006年6月(⑤⑥) 2007年11月(①~④)

所在地:兵庫県西宮市

 神呪寺は六甲山系の東端に位置するお椀を伏せたような形の甲山の山麓にある真言宗の寺院である。甲山は1200万年前に爆発した火山の痕跡といわれ、御影石(花崗岩)からなる六甲山とは違い輝石安山岩からなり、写真⑥の如く徳川大坂城の石垣を採取された跡が残っている。

 読み方は「かんのう」で、山の名前は「神の」「かんの」「こうの」「甲の」と転化して「甲山(かぶとやま)」と呼ばれるようになったというが単純に形がかぶとに似ているだけではないかという気もする。呪の文字が使われているが、神が呪うわけではない。

 永正16年(1519)細川澄元が越水城攻略のために鷲林寺とともに取り立てて陣を布いた。天正7年(1579)荒木村重追討の織田軍により、多くの堂宇を失い、文禄3年(1594)には秀吉により寺領の大半を没収される。

 慶長4年(1599)下山して現在の西宮市神呪に移転、寛延2年(1749)現在地に移された。元の神呪寺の場所は不明だが、源頼朝が復興した何十もの堂宇が林立したということを考えると関西学院大学の裏、上ヶ原浄水場あたりの仏性原と呼ばれるところにあった可能性があるとのこと。