摂津 十林寺城(鷲林寺) | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①多宝塔と本堂

イメージ 2②鐘楼

イメージ 3③八大龍王堂

イメージ 4④鷲林寺境内

イメージ 5⑤鷲林寺境内

イメージ 6⑥甲山を望む


訪問日:2007年11月

所在地:兵庫県西宮市

 摂津では勝尾寺、箕面寺、そして神呪寺とともに名山として並び称され、盛時には76もの堂宇が建ち並んだという名刹だが、しばしば合戦の舞台となっている。

 観応2年(1351)足利尊氏・直義兄弟が戦った打出浜の戦いに敗れた尊氏は、高師直を出家させるという条件で直義と和睦したが、師直ら高氏一族が京都に護送される途中の鷲林寺前で養父を師直に殺された上杉能賢に襲われて師直以下一族の多くが殺された。

 また、永正16年(1519)には阿波から上洛を目指した細川澄元が三好之長らとともに神呪寺と鷲林寺を取り立てて細川高国と激しく戦い、やがて高国を追い出して政権を握った。

その後、天正7年(1579)荒木村重討伐の織田軍により、鷲林寺は兵火にかかり、衰退していった。


以下、現地案内板より

鷲林寺略縁起

當寺は人皇五十三代淳和天皇の勅願にて天長十年(833)弘法大師空海により開創された真言宗の寺院です。
観音霊場を開こうと地を求めて旅をしていた大師が廣田神社に宿泊されていたとき、夢枕に仙人が現れこの地を教示されました。それに従い入山したところ、途中でこの地を支配する「ソランジン」と呼ばれる大鷲が現れ、火焔を吹き大師の邪魔をしました。大師は木の枝を切り、湧き出る清水にひたして加持をし、大鷲を桜の霊木に封じ込めました。その霊木で本尊十一面観音像並びに、伽藍守護神として鷲不動明王を刻み、寺号を『鷲林寺』と名付けられました。
また、大鷲に化けた「ソランジン」は麁乱荒神としてまつられました。その後貴族寺院として大いに栄え、盛時は寺領七十町歩・塔頭七十六坊の大寺院に成長し、その寺領が鳴尾地方にまで及んでいたことが古文書などによって伺えます。しかし、戦国時代に入り寺領は侵略押収され、天正六年(1578)十一月に荒木村重の乱が起こり、それを期に翌七年織田信長軍のために諸堂塔はすべて焼き滅ぼされてしまいました。本尊をはじめとする仏像は瓶に入れ地中に埋め隠されていたため兵火から逃れることができました。後に掘り出され小堂宇を建立し観音堂としましたが、その後も幾多の山津波や火災に遭い、無住の時代が長く続きました。昭和の時代に入りようやく復興され始め現在に至っています。
また時期は不詳ですが、武田信玄が僧侶になるため得度をし、その頭髪を埋めたという伝説がある七重の石塔があり、西宮市の指定文化財に指定されています。