①妙見寺
②本丸を望む
③二の丸
④温泉街を望む
⑤遠景
⑥遠景
訪問日:2006年11月
所在地:神戸市北区
有馬城は日本最古の温泉有馬温泉を見下ろす落葉山にあり、落葉山城、湯山城とも呼ばれた。南北朝の頃に築かれたといわれ、戦国時代には細川晴元の側近の三好政長がこの城を有していた。
天文8年(1539)閏6月に三木城主の別所村治(就治)が有馬城を夜討ちし、政長は敗れて河内に敗走したといわれている。(湯山合戦)
この天文8年は父を政長に殺害された三好長慶が政長に奪われた河内十七箇所の代官職を求めて兵を率いて上洛、閏6月17日晴元は京都を出て高雄に移った。
晴元の命で上洛した政長と長慶の和談は決裂し、7月14日妙心寺付近で両者は小競り合いを演じ、7月28日将軍足利義晴と近江守護の六角定頼の調停で和睦している。
湯山合戦は村治が長慶に呼応して出兵したのか、政長の留守を衝いた単独出兵なのかはわからないが、その後、有馬城は三田城の有馬村秀が支配した。
永禄元年(1558)東隣の船坂の大屋四郎兵衛が山争いに事よせ攻め寄せたが村秀に返り討ちにされている。
天正2年(1574)荒木村重が摂津国主となると村秀の子国秀は村重に従い、村重の妻の妹を娶るが翌年村重に疑われた国秀は有岡城に呼び出されて自害し、有馬氏の嫡流は絶えた。
その村重も織田を裏切り、有馬城には一族の有馬加賀守が入っていたが、天正7年(1579)織田信忠が攻略し、仙石秀久が湯山奉行として有馬に入り、有馬城は廃城となった。