播磨 敷地陣屋 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①陣屋跡碑

訪問日:2000年2月

所在地:兵庫県小野市

 直盛の次男・一柳直家は父の死後、従来の播磨国加東郡に加えて伊予国宇摩郡・周敷郡を与えられて計2万8600石を領して川之江陣屋を構築し、川之江藩を立藩し、加東郡には代官を置いた。

 直家には娘がひとりいたが、嫡男はいなかった。跡継ぎを定めぬまま44歳になった寛永19年(1642)死の病を得て娘に丹波園部藩主・小出吉親の次男宇右衛門を娶せて養子とし、家督を相続させようとする。

 しかし、末期養子の禁に抵触するとして、翌寛永20年(1643)伊予の所領を没収された。宇右衛門の家督相続と加東郡の領有は認められて、一柳直次として加東郡の1万石を相続した。

 やがて本格的な城郭づくりの小野陣屋を築いて承応2年に(1653)移った。小野陣屋跡は昭和の頃には堀池も残っていたが今は開発されて面影はなくなっている。

 

以下、現地案内板より

敷地陣屋跡

 小野藩の藩祖とされる一柳直家は、伊予と加東郡で、二万八千六百石を領する大名でした。しかし、直家には嫡男がなく、家名断絶の危機に陥りましたが、一柳家の数々の功績により特に減封で許されました。寛永二十年(1643)養子の直次が小野藩一万石を領することになりました。直次は直家の頃に役所を置いていた当地に陣屋を構えていました。承応二年(1653)には現在の小野小学校の地に陣屋が移されたので、当地に陣屋が置かれていたのは、わずか十年という短い期間でしたが、この時期に小野藩の基礎が築かれています。