陸奥 白河小峰城 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①御三階櫓•前御門跡

イメージ 2②御三階櫓北側

イメージ 3③本丸

イメージ 4④本丸石垣


訪問日:1991年5月

所在地:福島県白河市

 戊辰の役で失われた御三階櫓が復元されたばかりの1991年の訪問で、前御門はまだできていない。東日本大震災の影響で石垣が崩れ、現在修復中とのこと。

 白川結城氏により築かれたが奥州仕置により改易され、蒲生時代には与力大名の関一政、上杉時代には五百川縫殿介が入り、関ヶ原後に再び蒲生氏の支城となった。蒲生氏の断絶後の寛永4年(1627)に丹羽長重が移封され、城を大々的に修復する。

 その後は度々城主が入れ替わり明治維新を迎える。慶応4年3月の江戸城無血開城後、奥州の玄関口である白河城は新政府軍が管理していたが、閏4月20日会津兵と新撰組が侵攻し、これを占拠した。

 

 会津藩家老西郷頼母が白河口総督として入城し、奥羽列藩同盟の仙台、棚倉、二本松の各藩の兵も入り、2000名以上の兵力であった。

 一方、伊地知正治率いる薩摩藩を中心とした長州、大垣、忍といった新政府軍は500~700ほどの寡兵で5月1日に白河城を奪還する。

 

 その後列藩同盟軍は兵力を増強して7月14日まで7次にわたり再奪還を試みるが果たせず、逆に白河城に増援された板垣退助率いる土佐藩兵や新たな新政府軍の進軍により敗走し、奥州の玄関口を失った列藩同盟は窮地に陥った。