伊勢 松坂城 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①表門跡

イメージ 2②天守台

イメージ 3③天守台

イメージ 4④月見櫓高石垣

イメージ 5⑤御城番屋敷カラ城跡

イメージ 6⑥御城番屋敷


訪問日:2002年1月

所在地:三重県松阪市

 蒲生氏郷は天正12年(1584)近江日野6万石から伊勢12万3千石に転じ、織田信雄が築城した松ヶ島城に入ったが、天正16年(1588)新たな城を築き、松坂城と名づけた。

 天正18年(590)氏郷が2年ほどの在城で会津に移ると、その翌年に服部一忠が3万5千石で入るが、豊臣秀次失脚に連座し、文禄4年(1595)に自害、後に古田重勝が3万4千石で入城した。

 慶長5年(1600)石田三成の挙兵に対し、重勝は安濃津城の富田信高らとともに東軍に与して松坂城に籠城し、伊勢に侵攻してきた西軍の毛利秀元ら3万兵と対峙するが、敵わぬと知り8月24日降伏する。しかし9月15日関ヶ原で東軍が勝利したため、戦後重勝は2万石を加増されている。

 重勝は慶長11年(1606)47歳で亡くなり、弟重治が相続するが、元和5年(1619)石見浜田城に移封。その後は紀州徳川家の飛び領地となり、城代が置かれた。

せっかくの松阪訪問なので「松阪牛」のすき焼きをいただいた。この地域では江戸時代から農耕用として但馬牛を飼育しており、明治になって肉牛として飼育されるようになった。昭和になって徐々にブランド牛として認知されるようになった。
2002年8月19日までは枝肉がA-5、B-5格付けのものだけを「松阪牛」と認定し、厳格に管理していたが、現在は規約の改定により、区域内の生産であれば格付けに関わらず「松阪牛」と呼称できるようになった。BSEや産地偽装対策に伴う処置だが、当時結構ニュースで取り上げられた記憶がある。
現在の表示では「特産松阪牛」かつ「金」の枝肉がかつての「松阪牛」に該当し、その割合は数%程度とのこと。