ぼくは備え付けのルーペで、その古い記事の写真を何度も見直しました。そしてその日本人らしき患者の、なんとも言えぬ様子が気になりまして、資料室の管理係のおじいさんに声をかけたのです。
「すみません、この記事の写真を撮った記者をご存知でしょうか」
管理係のおじいさんは眼鏡をかけ直しながら、記録帳を調べてくれました。
「これかな……政治部の倉橋記者が取材に行ってるねぇ」
「わかりました、政治部を訪ねてみます」
「ん、ちょっと待ちなさいよ……その、倉橋記者は、行方不明で辞職扱いになっとるな。社会部の辛島編集長が倉橋記者の同期だが」
辛島編集長ならばぼくの上司であります。ぼくは管理係に礼を述べて、社会部に戻りました。
辛島編集長は、記事の確認をしている途中でしたが、大変趣味にしている珈琲を一服入れるところで、気軽に話してくれました。
「ああ倉橋か、懐かしいな。瀬戸内から帰ったと思ったら、一週間くらいかな、やつは無断欠勤と言うかまったくもって音沙汰なしでね。当時は政治部の後輩だったから心配してさ、奴のアパートメントまで行ったんだが……」
辛島編集長は小さな珈琲カップを手にしたまま、表情を曇らせました。
「それが、えらく荒らされてな……その翌日か、倉橋名義の小包が政治部に届いて……差出人の署名はないが、消印は瀬戸内だったな。小包の中身か。倉橋が愛用していたライカと、死亡欄に載せたフランク・シュテルン博士の写真だよ。他に研究所の内部と思しき写真も数枚あったかな。ライカにはフィルムは無く、おまけにレンズは割れていたがね。とにかく、ヒトラー総統の記事を大きく出したから、写真は死亡欄に押し込んだが……ん、その後の倉橋の行方か? まったくの行方不明でね、しばらくして国から死亡を宣告されてそれっきりだ。ところで加藤、その件と向日葵畑、なんの関係があるんだね」
ぼくは曖昧な返事をして、他の数枚の写真を見せていただけるか訊ねると、先ほど訪ねた資料室に管理されてると教えてくれました。
「ああ、どうした。辛島編集長に会えたかい。え? 倉橋記者が取材した他の写真が観たいのかい? もう退社の時刻なんだがねぇ」
資料管理係のおじいさんは、渋々とながらも対応してくれて、奥から数枚の写真を出してくれました。






