えーと、極端だが例えば物の見え方なのだ。
天然ニグロの天然の視覚と、ニグロのアルビノで発生したアングロサクソンの青い目玉と、気候や環境の賜物であるモンゴロイドの黒い目玉とでは、紫外線その他の色調を感じる波長が異なると思われるので、色の認識も違うはずだろ。
すんげー乱暴なカテゴリーなのはわかっているのだが、でもそんなとこだろ。
例えばイギリスのダブルデッカーに代表するような、赤。
たしかグリーン、緑もそーとー深いってーか濃厚な色だと思う。
まあ、各国の色を例に上げるときりがないのだが、日本にある藍、華、紅、紺、葵、蒼、碧、淦、翠、緑、紫、例えばジーンズが紺から華色に変わっていくグラデーションに、一々名前が付いてるほど、日本の彩り世界、漢字表現世界なのだ。
わーぁ、日本語は凄いな、キチガイじみてるな。
なんでこんなことを言い出したのってーと、同じ日本人なのに、色の認識、もしくは言葉、もしくは色と色の名前の認識の違いがあるのだよ。
簡単にゆーと信号の『進んでよし!』は青?緑?青緑?いい加減にするのだ。
『青い山脈』は本当に青いのか?緑じゃねーのか?おれには紫に見えるぞ?
おまえら絵を描いたことねーのか?
おれが言うのは日本は書き文字の文化だから、びみょーな色合いもびみょーな漢字で表してきたのだが、根っこがバカだからそれを一緒くたに言葉で発音してにっちもさっちもいかない、どんずまり感覚の漢字と言葉の残骸だけなのだ。
そもそも微妙な彩りを言葉や文字で表そーったって、そうは問屋がおろさないのだ。
彩りを視覚に現す、視覚を聴覚に訴える、聴覚を味覚や嗅覚に現したのなら、病院にいけ。
おれはそんな患者を診てみたい。