今回紹介するのは…





プロ野球観戦、応援、サイン収集、それぞれが好き

■新浦寿夫 元投手





過去のブログの記事で、OBクラブの1977と1987を1パックずつ買ったらどちらからも新浦が出てきたという話を書いたが、その2枚とも直筆サイン入りになった。


紹介するのは巨人の方。



と言っても、俺は巨人時代の新浦を知らない。プロ野球をテレビで見始めた1981年に無敵だったテレビの中の巨人には新浦はいなかったのだ。


しかし、その頃古本で家にあった新巨人の星の1巻にはよく出ていた。長嶋巨人一年目の低迷に、失踪していた星飛雄馬は居酒屋のテレビを見てこっそり涙を流している。この低迷の象徴が、打たれまくる新浦の姿であったのだ。


このイメージのまま時はたち、6年後の1987年。我が巨人のお得意様・大洋の先発投手に新浦という投手がよく出てきた。


ん?新浦? あの新浦か?



新聞屋がくれた名鑑を見てみると、あの新浦だったのである。巨人-三星(韓国)-大洋、とある。


漫画の中で(実際もそうだったようだが)打たれまくって星飛雄馬の涙を誘っていたあの新浦が、大洋のエースとなって帰ってきたのである。


新浦は漫画の中のようにバカスカ打たれなかった。王巨人とファンを本当に悩ませた。87年は優勝したものの、翌88年には優勝を逃した巨人。シーズン中の大洋戦で、解説の堀内恒夫は「(巨人は)新浦一人にやられてます」とバッサリ。


88年の名鑑の新浦の欄には、思い出の記録として、「昨年5月10日の巨人戦(横浜)で古巣相手に5安打の完封勝利。桑田に投げ勝つ」とある。


そんな投手だったのだ。


しかし成績は11勝12敗の負け越し、防御率も4点台だったのは意外。小林繁のように、やはり古巣相手には燃えるものなのだろうか。






(敬称略)


今回紹介するのは…



(画像はプロフィール画像をご覧ください)




香田勲男 元投手






このブログを見てくれた人の中には、プロフィール画像が香田? と思った人もいるはずだ。


スター選手、現役時代スターだった選手のサインを載せる人が多いだろう。


香田は失礼ながら、スター選手といえる成績は残してはいない。野球ファンの記憶は1989年のあの日本シリーズでの快投ぐらいだろう。


しかし、俺はあの日本シリーズの一年前に香田の大ファンになっていたのだ。



王監督最後の年となった1988年シーズン、香田は初先発した。初登板は過去の年にリリーフで果たしていて、初登板初先発ではなく初先発だった。


高校生だった俺はこの試合をテレビで見ていた。香田の名前は87年に新聞屋がくれた名鑑で知っていた。抱負にはこうあった。


肩痛で練習生扱い。全開予定の?月を見ててくれ


頼もしい抱負だ。顔も闘争心あふれる感じがする。残念ながらこの87年は登板できなかったようだが、翌88年に初先発のチャンスがやってきた。



ここで香田は、ヤクルトを相手に完封をやってのける。プロ初先発初完封だ。


俺は怪我から這い上がってきた、というシュチュエーションが大好きなのだ。


ヒーローインタビューで、インタビュアーは、「そこから這い上がってきて…」と言っていた。その通りだ。


すごいぞ香田勲男!!!




しかし…









この日は、あの呂が初打席初本塁打でデビュー。このため、呂に印象を持っていかれてしまったのだ。


呂が点を取ってくれたから勝てたのではあるんだが…。


それからしばらくして、ベースボールマガジンで、新人王候補の記事があり、香田も候補として紹介されていた。「初登板初完封したのに呂に注目度を持っていかれてしまったが」みたいなことが書かれていた。


翌年、香田は近鉄との日本シリーズで、巨人3連敗の崖っぷちを救う完封をやってのけた。7戦目でも勝利投手。


その後低迷して近鉄で復活。サインは近鉄で引退後にコーチになった時に直接貰ったもの。なのでTTM返信ではない。



ちなみに、香田のプロ初先発初完封のヤクルト戦、最後のバッターが、意外な人物なのであるが、わかるだろうか?


1988年のヤクルト。


デシンセイ? ハーパー? 八重樫? 池山? 広沢? 渋井? 桜井? 若松? 杉浦?    違います。

















長嶋一茂。








(敬称略)
















今回紹介するのは…




プロ野球観戦、応援、サイン収集、それぞれが好き
■梨田昌孝 元捕手 監督 



今年(2011年)のシーズン終盤、今季で日本ハム監督を辞任すると聞き、いてもたってもいられなくなり、速攻でTTM。


解説者になっても、違う球団の監督やコーチになっても、優しい梨田ならもらえるだろう。何慌ててるんだ?


こんな声が聞こえてきそうだが、梨田昌孝・日本ハム監督としてのサインがほしいのである。



TTMを知らなかった90年代、たまたま近鉄と中日の宿泊先が近く、時々サインをもらいに出かけた。鈴木啓示監督の頃だ。


野茂、阿波野、赤堀、佐野、ブライアント…


サインを断わる選手は誰もいなかった。ホテル側も、どんなにファンでごったがえしても、パンフのスタンドが倒されてしまっても、一切お咎めなし。仲間は、ホテルマンに、「色紙無かったらフロントで売ってますよ」と言われたそうだ。


この頃のコーチだったのが梨田。梨田が出てくると、選手の時の同じぐらいの人数が群がって行く。俺も含まれているんだけど。


笑顔で最後までサインをしてくれる梨田。当時の近鉄で一番印象に残っている。



サインも、温厚な性格も、あの頃から全く変わっていない。





(敬称略)