今回紹介するのは…














プロ野球観戦、応援、サイン収集、それぞれが好き

■宮崎和彰 元外野手・内野手




TTMではなくインパーソン。





サインを貰う時、「前の背番号を入れてください」等のお願いをしているファンを見ることがある。俺は一切そういうお願いをしない。というかできない。


もちろん、前の背番号のカードに現背番号のカードのサインでは違和感があるかもしれない。でも、「サインお願いします」と言われてしてくれたサインこそが、本当のサインのように思うからだ。



ジャイアンツ球場で石毛博史に貰った時のこと。94年巨人優勝特集号の雑誌の石毛のページを差し出した。石毛はこのシーズンから8時半の男・宮田征典にあやかり24に変わっていた。「59でください」と、俺は言えない。


すると・・・



背番号24の石毛は、自ら写真と同じ前背番号の59を書いてくれたのである。


それから3年。




2000年入団の宮崎和彰という選手を注目するも、数年で西武へ。その西武の宮崎に巨人時代のカードを差し出した。すると、自ら60と書いてくれたのである。


前所属のカードには断っていた選手(石井浩郎、西山秀二…)や前背番号のカードには背番号を記入しない選手もいる。さまざまな主義があって当然。でも宮崎と石毛はしてくれた。なんだか嬉しかった。




俺は本当は、「チーム名入れてください」とか「前の背番号を入れてください」って、言いたいのかもしれない。







(敬称略)


今回紹介するのは…






プロ野球観戦、応援、サイン収集、それぞれが好き
■川又米利 元外野手





この川又には、俺でなく友達の体験ではあるが、興味深いエピソードがある。


昔、中日と近鉄の宿舎が近くでよく貰いに行ったという話を梨田昌孝の欄で書いたが、この頃の俺は野球だけでなくサッカー、プロレス、大相撲も観戦のほかサインを貰いに行っていた。


サインをもらう場所には大体顔見知りがいた。相撲の時、詳しい人がいてよく話を聞いた。



□□(力士)は優しくて絶対くれる。


△△はサインをしない。


○○は勝てばサインする。



などの情報である。



その中で、こんな情報を聞いた。栃天晃は、「栃天晃関サインお願いします」でなく、「サインお願いします」と行くと、必ず「俺が誰だか知ってるのか?」と聞いてきて、答えられないとサインしない、という情報。



後頭部をガツンとやられたような気がした。


当時20か21歳ぐらいの田舎者のガキだった俺は、みんながもらいに行けばその流れについて行ってもらっていた。名前のわからない人物もいたはずなのだ。


きちんと観戦し、その選手を知った上でサインを貰わないと失礼にあたる。



栃天晃の姿勢は、それを教えてくれたのだ。



さて、肝心の川又の話。


友達が中日に貰いに行った時、川又に、「俺が誰だか知ってるの?」と聞かれたいう。


「川又選手です」と答えると、ニコニコしながらしてくれたそうだ。


俺が川又に貰った時は聞かれなかった。聞かれても川又であることはわかっていたから失礼はなかったはず。



栃天晃のように毎回聞いているわけではないだろうが、川又と栃天晃は、サインを求めるファンに、ファンというものを教えてくれていたのだ。






(敬称略)



今回紹介するのは…










プロ野球観戦、応援、サイン収集、それぞれが好き
■川相昌弘 元内野手







川相といえば巨人のショート。巨人ファンの俺の、好きな選手の一人である。


ジャイアンツ球場で、川相がサインを断わる姿、途中で切り上げる姿を見たことがない。



俺が注目したいのは、バント職人・巨人軍・川相昌弘のことよりも、現役晩年の中日時代のことだ。



某駅でどこかのチームの移動を狙っていた時、予想外の中日ナインがホームに現れた。もちろん川相の姿もあった。巨人時代と変わらない、最後の一人までサインをする姿。一緒に行った友達と顔を見合わせ、「川相が一軍で頑張ってるのって嬉しいですよねえ」と声が出た。


ベテランが引退直前にチームを移籍するのはよくあることだが、大体は二軍暮らしかベンチウォーマーでひっそりと消えていくパターン。



しかし、川相は代打要員ではあったが一軍になくてはならない存在として活躍した。このカード『ベテランの存在感』が何よりの証拠である。



現役晩年を、チームになくてはならない存在として過ごしたこと。それが川相ファンの誇りなのだ。





(敬称略)