八月のある一日 | うろんころんしてみる隊

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

足あとが焦げている 流れても消えぬもの 大切なものだから

 

 

八月の初旬は、雨も降らず・・・恐ろしく暑くなる。

風が吹くうちはいいのですが、これがパタリとやむと、地面にためられていた熱気が一堂にたちこもり、逃げ場のないような熱気がすべてを包み込むような日々。

夕立すら降らず、夜も気温のさがる気配がないままに、次の日もまた早朝から日差しにさらされていく日々。

 

被災地からは離れていても、時おり僅かな震動を伝えてきます。被災地の皆さまの御苦労を思うばかり。梅雨から夏の暑さを迎えるのはとても辛いものです。少しでも体を休めることができる事を願います。

 

本日は我が推しの命日に黙祷を捧げ、この暑い日々を乗り越えんと、自分もそうですが家族の体調管理にも気を配りたいところ。

 

天気予報の最高気温に溜息をつきながら、台風の進路が進んでくるのを見て、台風に向かって「こっち来んちゃよかっ!今来んなっ!」と悪態をついていたところです。

 

 

そんな土曜の午前中、宅急便がやってきました。

「何じゃろか?」と思っていると、父からお中元が届きました。

 

また・・・わざわざ・・・我が子にお中元をしなくとも・・・・。

 

律儀といえば律儀だけれども、年金生活でもあるし・・・そんなお金をかけてしなくってもいいよ・・・自分の欲しいのを買いなされ・・・とお礼とともに言ってしまうのですが、へへへと笑っている。

 

因みにお中元の品は、カルピスバラエティ詰め合わせのチョイス。

 

ふふふ・・・孫のためだな。

 

わざわざ勿体ないよ・・・と思う気持ちもあるけれど、父の根底にあるのは、それをしなければ何もなくなってしまうという思いと、習慣のようなものでもありましょう。

 

しがらみの煩わしさから、「断捨離」を合言葉に何かと断ち切ってしまうけれども、何となく人同士の繋がりを切るのはどこか諸刃の剣のような気もしてくる。

 

実家のあるところは、もとは縁もゆかりも全くないところだけれども、父も年金生活になって家のことを全部取り仕切らなければならなくなって久しく、しかも病気もあるので色々と心配なことも多いのですが、父は父なりにこれまでに重ねてきた自身の縁(つながり)があって、それを大切にしているのだから・・・無碍に「要らんよ」と断ち切るのも何かつまらないような気もします。

つながることで、そこに「存在」の価値がある。お金には代えられない何かが。

 

 

さてさて、お味もとりどりなカルピスの缶に倅達も大喜び。

飲み比べをしておりましたが・・・倅二号はメロンの味が微妙な感じだったようで、シャーベットにして食べておりました。

 

それはいいとして・・・・夕方となり、食事の準備に取り掛かると、キッチンの脇に山のように並べられたカルピスの缶が!!

一応は水できれいに濯いであるけど、ちょっと・・・どんだけ飲んで・・。

 

まとめて裏の倉庫まで片付けに行けばいいのですが、暑くてその気力が。。。

 

缶を横目に調理をしていると、足取り軽くやってきた倅二号。残しておいたカルピスを冷蔵庫から出して飲み干し、濯いでまたそこにひとつ。

沢山並んだ(並び過ぎた)缶を、おもむろに積み上げていく。建ち並ぶ缶はさながらバベルの塔か?遊ぶんじゃなくって・・・どうせなら倉庫に片づけにいってくれれば・・・とも思いながら、ちょっとその場を離れていると、キッチンから聞こえてきたのは・・・

 

ガラガラガラガラーン

 

・・・・・言わんこっちゃない(;´Д`)

戻ってくると、懲りずにまた新たな塔が出来上がっておりましたが。

 

もう・・・と思っていると、今度は倅三号が全部一段に戻して所狭しと並べていました。

だから遊ぶんじゃなくって!!(;´Д`)

 

仕方がないな~と思いながらも、父の静かな真心は孫たちのこころを掴んでいるのでしょうね。

 

普段は寡黙な九州男児ですが、お互いに暑い夏を乗り越えていきたいものです。

どうもありがとう。