過去世より いまを生きる身 その先に 命はめぐる 流れる侭に
さて、下手糞ながら、石牟礼道子氏の書いた「西南の役伝説」という本を語ってきました。
『昭和も遠くになりにけり』と言われて久しいですが、地続きの営みの中においては、大正・昭和、ましてや明治という時代とて、それ程昔のことではないのかもしれません。
うちの墓参りにいくと、周りの墓には「延宝」や「元禄」という文字が読めるし、「天保」なんて最近じゃね?と思えるほど、昔々の人たちがそこに眠っておられます。古い書物もね・・・紀元節表示なので、”2514年の時に”とか急に出てきて、一瞬「?」となることもありますもんね。
菅さんが掲げた「令和」もすでに7年・・・今年は紀元2685年、昭和も百年ですから・・・。
昔々、その地で起こったことが人々の口伝いにて綿々と語り継がれ、時と共にそれが民話となっていく。多少脚色はあるものの、その話は笑い話よりも悲話のほうが、より深く教訓のように・・また悼むような気持で語りつがれているように思えます。
前のブログで触れた「うすねぎり」というのは、熊本県小国町にあった古い部落のことです。
周囲との付き合いを極力避けてひっそりと暮らす隠れ切支丹(キリシタン)の集落の者たちを、戒めの態もあったのでしょう、うすねぎりの者たちを処刑するので、その周辺の住民には見に来るようにと御触れがまわってきたそうであります。
子ども大人関係なし、家族ごと自分達で掘った穴に処刑された骸を落とされて、そこには十二の塚が出来ました。
偶々・・違う家に養子に出ておって、それを免れたうすねぎりの人がおった。その人は畳職人として生業をなし、仕事のあいまにでも語られる、わが目でみたその村の顛末を・・・口伝えで幾度と聞いてきた人共がまた、その話を口説きの伝説として刻んできたのです。
読み書きできぬ者であっても語る言葉の力を使って、次の世代に忘れられぬように・・・と伝承をおこなってきたのでしょう。
この本には、最後に拾遺としていくつかの話を取り上げられています。
祇園の頃になると、浄瑠璃語りとしてやってくる非人(かんじん)御前殿は、こまかい時から古い傀儡(くぐつ)を兄者として、平家落人のご先祖の由来記をででんと習っておった。西郷のいくさが起きた時の事、逃げよ逃げよとその道に、あれは雨の晩ぞ、膝の悪かったかかさんは兄者を背負うたまま・・・・つり橋から足を滑らして川流れになってしまわれた。天涯孤独となった御前は、今でも家族を恋しく思い、酒をもろうては、乞われてじょろりをべべんと語る。
侍の無しになるという時代に、家のかたに身を売られ、運命にか気を狂いなさった小愛らしい娘がおって、傍には五郎という白い犬(いん)がついて回って彼女の身を護りよった。家を持たぬおえんしゃまは、水辺や人の寄らん妄霊嶽の岩山に犬と一緒に登ったりしよりなさった。
そこは崖のゆきどまりでして、官の方と西郷の方は戦いの末に追い詰められ下に落ちるものの、崖の木に引っかかったのか、しばらくは助けを求める声が下まで聞こえおったそうな。村の人も助けたくでもどうにも出来ん、数日して声が聞こえんようになったのを此の世の終わりと思い、みぞなげに(かわいそうに)といたわり申す。そんな山の中で、めったに聞かれん、おえんしゃまの唄う声が谷の下から響き渡っていたそうな。それは瞽女(ごぜ)が唄う歌と同じもんだったそうだが。
おえんしゃまはな、みぞなげに・・・その後五郎が死んで、次の年に子を産んですぐ死なしたばえ。
西郷のいくさにて、最後まで戦い抜いた薩摩のにせどんは、主を失うた後、負けて牢獄に入った。官にも賊にも分かれていた者も、戦後は東京に出て官途についたが、この仲格御上(おんじょ)は今は昔と静かに静かに余生を過ごす。薩摩の士道を保つ盲目の老人となったその御人に村の人は優しかった。無償の志に殉じ自らを葬っている姿を人々は最期まで温かく見守っていた。
(仁礼仲格:嘉永四年生まれ西南の役にて薩摩軍に従事)
「死者と生者がむきあって、ふっと呼吸を交わすような気配の中に、わたしは引き入れられ、そのようにして引き継がれてゆく時間の連続の中に、這入りこんだような気がした。(拾遺三 太陽の韻より)」
石牟礼氏の言葉からは、時代の中を懸命に生きた彼らへの敬愛の念を感じ取ることが出来る。
それは、今を懸命に生きる私たちの生もまた・・・同じ地続きの中で営まれているのでありましょう。