百年の時とて地続きの世界なり① | うろんころんしてみる隊

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

伝説も 耶蘇の踏み絵も 時の砂

 

 

先ずは有り難くも、小生の独り言にもならんような呟きに、目を通して下さる方もおられて有難い限りです。感謝!

誰かに見てもらおうという欲もなく、ただ思いつき・・・本当に思いついた侭に、つらつらと書いてしまうブログですが、一期一会に感謝しながらも、ぼちぼちと続けていこうと思います。

 

 

さて・・・

最近、時間がある時にぼちぼちと読んでいる本があります。

ブログの中に「文学」というテーマを設けているくせに、案外触れていないこのカテゴリー。

しかし、これが中々・・・書きとめるには難しい(苦笑)。

 

数年前病におかされ、それ以来「読む」という作業の難しさを感じています。それでも、偶に文庫やら電子図書やら国会図書デジタルやら色々な媒体で文字を追う。

面白くてはまる本もあるし、そこに書いてある事の時代考証も気になる。翻訳と原文の違いも気になる・・・別に学者でもないのに、あれこれ脱線をすることばかり。

それをまた、こうして紹介をしようと思うのだけれども・・・

遅鈍な頭にはさらに難しかった(*´Д`)。うへ・・・

 

あ・・・それで肝心な何の本なのかというと、

 

「西南役伝説」石牟礼道子著 講談社

 

石牟礼道子氏というと、水俣病を題材にした「苦海浄土」が有名ですが、こちらは二十年の時をかけ、当時、西南の役を経験された人々の話を基に、語り文調にて書かれた話です。

といっても、士族の戦いといった文献に出てくるような内容ではなく、御一新(明治維新)から大東亜を越し戦後の復興を、まるで御伽噺の絵巻のように流々として、生まれてこのかた己の生きた土地しか知らぬ文盲の、百を超えた翁や媼の口から語られる話を、石牟礼氏が言葉を借りて書き留められているのです。

天草や菊池や人吉、肥後と薩摩の言葉の交ざった昔々の方言なので、聞き慣れない方には少し難解な文章かもしれませんが、「ああ、そうそう、この言いよう久しぶりに聞いた(見た)」と懐かしく思いながら読んでいます。

 

メディアに出回る九州弁はかなりマイルドですし、大概は博多(筑前)弁。然し、九州は全豊、肥筑、日向薩摩とそれぞれのバックグラウンドが違い、藩の影響もありましょうか、地域地域それぞれに言葉が違います。処によっては、出稼ぎの往来にて言葉が雑ざりつつも、独特の「九州言葉」が存在しています。そして、所謂「古語」の文体がそのまま方言として残っている事が多い。

 

この本の中に語られる言葉は、同じ熊本にあっても、小国の山と菊池の平地、天草の島と水俣からの薩摩寄りと人吉からの薩摩寄りではそれぞれに絶妙な違いがあります。それでも、それぞれの持つ朴訥な言葉は、まるでその方が目の前で話しかけてくるかの如く感じ取られ、また、方言に漢字が当てはまるという事実を、わたしは石牟礼氏の本で知りました。

そして何より、語られる言葉を目に留めながら、ああ自分が小さい頃に古い爺ちゃん婆ちゃん達がこんな言葉を吐きおんなさったと、半世紀近く前の記憶が鮮明に浮かんできました。

 

大正初期生まれの祖母と一緒に連れだって回る先は、姑と変わらん古い媼。

「どこどこんおばっちゃんがえ」と云われる宅は、古い泥の固まる土間に黒光りのする板の間が高く掲げてあって、そこをよいしょと上がると、足元が真っすぐはしておらん畳の間が広がる。部屋の奥には金ぴかの仏壇と壁に紋付やら軍服を着た人々の遺影が掲げてある。畳の間の周りをぐるりと囲う外に開かれたお縁(えん)にそのおばっちゃんは座っておられた。

昔は男も女も暑くなると上は肌着の一枚で、親しい来客ならば、普段と変わりなく迎えられる。

わたしは、おばっちゃんの肌着のあいまに垣間見れる・・・日焼けた顔や手の色とは対照的な白肌の柔らかい垂乳根をじっと見つめていた。

別にいやらしさはない、白く伸し餅のように垂れさがるその母性のあとは、媼が母として生きてきた証だったのだろうから。

 

縁側の節目の入った板の線を追ったり、端くれにある大きな木戸のささくれやその奥に密かに張られた蜘蛛の巣を見たり、部屋との境にある障子戸の紙が焼けたように黄ばんでいたりするのを、徒然としてただ祖母らの傍で眺めて過ごすのである。

 

「ふの悪か(運の悪い)」「・・・けんて恨みおらいた(恨んでいた)」「ばってんどがんしゅうかい(然しどうしようか)」

 

何を話しているか、園児の頭にはわからねど、「おどまは」「おどまは」と交わされる、ばあちゃんとおばっちゃんとの会話。

そして、互いに「みぞげじゃった(可哀想だった)」とつぶやく、ばあちゃん達の見つめる先は虚の空。

 

知らぬだれかのその生を、いたく憐れみ慰める。長生きをした者が知る、人の生死を見届け続けた故の言霊か。

 

明治を生きたおばあちゃん達の、家族の食い扶持を得る為に、寝る間も惜しんで働いた手は、節くれて皺がより、爪も土の色と変わり果て、肉の枯れたような腕には静脈の色がつちくれのように、でこぼこと浮き出ている。

おるが家の支え柱を降りたであろうその後も、休む事を知らぬ手は常にせわしなく動き、板の間の塵を摘み集め、シミーズに垂れる汗を手拭いで拭きとる。そうして動く度にふわりと湿布の匂いがして、平たい背中がモゾりと動く。

 

自分が何を思ってそれらを見つめていたのかは・・・まったく思い出せないけれども、目の前の世界しか知らぬ幼児の眼には、口では説明できない、何か懸命に生きてきた人への畏怖の念があったのだろうと思います。

 

ほんの半世紀前の田舎にはまだ残っていた世界。

生活の術の殆どを人の手によって行われていた・・・現代からすれば、時間や手間の掛かる・・・まさに効率の悪い作業を、我が身の五官を使ってなしていた世界。皆が一緒くたに歩んでいかんとその共同体は簡単に消ゆる世界。

高度成長の便利になったまちのほうへ、跡継ぎを除いて、孫や子どんははっていった(去った)世界。仏壇の際に飾られた、わがより先にはっていった(逝った)息子どもを、小さな背中をさらに曲げ、朝に晩にと祖先と一緒に回向する世界。

 

あの頃「おんちゃん」と呼ばれていた若い代も、今は遺影に並ぶ人となり。自分とて、生まれた時には既に、機械で動く便利なものが溢れかえっていた。それらも今や「昭和レトロ」と珍しがられるものとなったのに・・・。

 

これもいつかは・・・年寄りが語る民話のように、話される時代がくるのだろうか?

 

この本とて、本屋はおろか県立図書館の閉架図書にすら置いてなかったので、電子書籍にて購入した次第なのですから。

文明の利器のお力を借りつつ、こまんか画面のなかで展開される・・・この世界観の強さよ大きさよ・・・。

 

少しだけ、頑張って、この話の持つ世界観を紹介していきたいと思います。 (続く)