雲仙への鎮魂 | うろんころんしてみる隊

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

益荒男の 振るうかいなを 制す手は

たおやかなれど 普賢のまなこ 

 

 

本日6月3日は、雲仙普賢岳大火砕流が起きた日であり

あれ(1991年平成3年)から34年目となる。

 

1991年は、湾岸戦争に始まりソ連解体に終わった年。前年には東西ドイツが統一され、バブルが崩壊した。世界は揺れる・・・目まぐるしく変化する、それはきっと今の時代でもなんら変わりないのだが、この頃の記憶は今でも鮮明に思い出すのである。

 

前年の11月頃から噴煙があがりだし、噴火活動が認められた。テレビ画面には、溶岩ドームがどんどん大きくなっていく様子が映し出された。江戸時代に起きた「島原大変肥後迷惑」が頭に浮かんだが、精々イメージできるのは、阿蘇や桜島の噴火の様子で、「火山灰が降ってくるのかしらん?」と暢気に構えていた。

6月・・・丁度高校総体があっていた頃だ、3日に起きたこの噴火は随分と離れた場所からでも目に止める事ができた。ドーンと響く轟音とともに、空高く舞い上がる灰色の雲。その後、ニュースで見たのがあの火砕流が流れる映像。火砕流の熱等に巻き込まれ多くの方が亡くなられた。

 

思えば、台風や水害等の自然災害は身近なものであったけれども、「山が噴火する」という現象を身近に経験するのは初めてだった。・・・実際、火山灰はただの砂ではないので、雨で簡単に洗い流されるものではない。

風向きで飛んでくる火山灰にて、家の庭木も何本か立ち枯れた。周辺では、農作物や畜産業を含め、大打撃を受けた。それでも、度々土石流とともに火山灰が降ってくる日々、また、暑い最中に、長引く避難生活を余儀なくされた、地元の方々は大変であったろうと思う。

 

一度、父と雲仙に登った際に、丁度土石流と遭遇し、その姿を写真に残した。火山灰が舞うと、まさに闇夜の如く暗くなる。

自然の力には及ばない苦しみがある。

 

然し、それからもう34年も経つのだ。

 

岩肌をむき出しにしていた谷も、今ではすっかり緑の絨毯で覆われている。

島原の城下町を歩むと、清水がこんこんと湛えている。静かに・・それでも、この山がもたらす自然の全てを受け止めながら、確と生きる人々がおられるのである。

 

わたくしごとながら、雲仙に行くのがとても好きである。

倅達を連れ、特に目的もなく雲仙(島原半島)へドライブに行くことがある。右回り左回り、島原半島の臍でもある雲仙に登り、ぼんやりと麓を眺める。対岸に広がるは天草の一連と左手に金峰山が見て取れて心が癒される。

何故かわからないけれど、きっと海の向こうに懐かしい熊本の地が見えるからかも知れない。

 

Googleフォトにも、数年の記録のうちに幾度か写真が残っていた。

 

「気紛れドライブにて偶々雪が降り、薄着で震えながら撮った樹氷の写真」

「仁田峠まで登ったら、雨雲の中に突入しホワイトアウトになった写真」

「山は雪の降りおったい・・・あら?上は積もっておんなさった・・の写真」

「今日は山ん日やけんな・・・どりゃ・・・登ってみゅうだいの写真」

四季折々(笑)

元山岳部を連れ、偶に山道の途中まで散策する。色々な草花や動物とも遭遇し、愉快な時間を過ごせる。

 

穏やかな空間と、畏怖の姿・・・自然とは厳父であり慈母である・・・と誰か云うたな。

 

自然の力を我々が支配することはできないが、どうか・・・少しでも穏やかな四季を頂きたいと願う。