【乙訓ジュブナイル】別冊少女かーぽん:その壱 | 西山夕焼け通信 1970~1979

西山夕焼け通信 1970~1979

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1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
これからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

文:かーぽん

給食居残り、

早食いK君の真似をして

 

第3向陽小学校で一番の

思い出に残っている

ひとつが、給食です。

私は、給食を食べるのが遅く、

みんなが終わっても、まだ食べきれず、

よく居残っていました。

あの頃は、机を6つくらい集めて

お互いに向き合いながら給食を

食べていたと思うのですが、

ある日、目の前に座っているK君が

さっさと食べ終わっていることに、

気が付きました。

彼の真似をすれば、

早く食べられるのでは、

と思った私は、

彼と同じスピードで、

ひと口ひと口、

おかずやパンを食べていきました。

時には、

ろくすっぽ噛み終わってないのに、

次のひと口を口に運んで飲み込み、

パンで口がいっぱいに

なったら牛乳で流し込み、

それこそ彼の一挙手一投足に

喰らいついていきました。

まもなく、居残りどころか、

かなり早く食べ終われるようになり、

居残り組から卒業することができました。

ただこの時の早食いが、

元々運動不足でぽっちゃりした体型に

さらに拍車をかけたのでは、

と思っています。 

焼いていないパンが苦手で

ミートソーススパティが出たときは、

とてもうれしかったな。

 

両親が向日町商店街で

商売をやっていたので、

第3向陽近くの自宅周辺で

同級生と放課後に

あまり遊んだ覚えがなく、

平日は学校が終わってからは、

店の裏で妹達と過ごしていました。

土曜日だけは半ドン?で終わったせいか、

ご近所のAちゃんのお宅で

よく晩御飯をいただいた覚えがあります。

ハンバーグの中にうずら卵が入っていたり、

お素麵は、錦糸卵や甘辛いしいたけが

添えられていて、

手の込んだおいしいお料理だった

覚えがあります。

(なんだか食べ物の思い出ばっかりだな...)

Aちゃんのご両親は

今でもご健在で何かにつけお世話になり、

感謝感謝です。

 

その弐に続く。

 

一口K

かーぽん:三向小卒

1年10組茨木学級

3年5組小谷学級

ソフトボール部

発起人として参加