西山夕焼け通信 1970~1979

西山夕焼け通信 1970~1979

A magazine-style blog to vividly color the sunset of your life.
Since 2023.11.1~

大人の

修学旅行シリーズ第1弾

乗船者は現在22名

第二次募集は

残り2名のみ

乙中79年卒生オープン企画

10・31東京湾屋形船大宴会

2次募集のお知らせ【先着4名のみ】

10月31日㈯

昼1時30分集合

集合場所/JR浜松町駅から徒歩5分。屋形船竹内

昼2時乗船/2時間30分

東京湾周遊&宴会

会費:1万4000円(飲食代を含む)

中型船の乗船定員が24名のため

わずか2名のみ募集!

 

↑展望スカイデッキで東京湾を周遊

天ぷらコース&飲み放題付

全席イス席

カラオケあり。

乙中79年卒生ならだれでも参加できる、

オープン企画です。

残り2名のみ先着募集。

 

6月12日現在の参加表明者22名

乙部M(2)、永井N(3)、岡崎Y(5)、

藤井Y(6)、小室Y(7)、加藤T(7)、

澁谷R(7)、阪本T(8)、渋谷M(8)、

山下E(9)、加島M(9)、せつH(9)

小谷A(10)、堀江M(10)、清水C(10)、

小澤(11)、生駒Y(12)、大藪C(12)、

杉本R(12)、前田H(12)、長濱M(1-7)、

佃T(2-6)、

 

集合時間は乗船30分前です。

乗船してからは

スカイデッキ(屋形屋上部設置)や甲板で、

東京湾周遊観光をしばし楽しんだのち、

屋形内のイス席で

揚げたて天ぷらのコース&

飲み放題へ。

食が落ち着いたら、カラオケもいいかぁ……。

 

「♬ギンギラギンにまゆ毛なくぅ~」の

キマ(6)がいないのは残念だが、

ついについに

あのJAコンビ

Sチィ&ナオミ・キャンベルの

桃色レディースが

『ペッパー警部』で東京進出かぁ!?

 

陸に戻るのは午後4時半。

秋の夕陽に照る海、もみじーー。

下船してからは

カトチン(7)が夜の部(2次会)を

用意してくれはります(ぴろみ調)

 

↓集合場所は 

「屋形船竹内」JR浜松町駅から徒歩5分

申し込みは

せつひろし まで

LineID:setsu8324

email: hiroshisetsu1963@gmail.com

 

企画:ハイサイ企画

(せつ、ナッチン、ぴろみ&ぺコ)

協力:乙中関東会のみなさま

 

中路英明

オバタラ・セグンド

CD『エスタモス・ゴサンド』発売記念

サマーツアー2026

中路英明(tb)、鈴木よしひさ(g)、

伊藤志宏(p)コモブキイチロウ(b)、

大儀見元(perc)、岡本健太(ds)

 

 

関西2か所 3夜開催!

大阪キタ

8月10日㈪※翌日は山の祝日 

Gallon(ガロン・元ケリーズ)

 

 

京丹後市

8月12日㈬・13日㈭

シャープス&フラッツの館

今年は能登&八ヶ岳の

ジャズフェスにも登場!!!

中路クン!

一昨年の闘病から完全復活!

やせたけどね^^

夏だ、ラテンだ、オバタラだ!

 

↑去年の夏の京都RAGでのライブ。

井手先生、井上N(7)、小谷A(10)、神脇T(7)

野口T(5)と常連のようなメンバーは来ていました。

あと、井木T(2)、元スイブ。

この夏はたーくさん来ますように^^b

チケットの手配は原則は各自ですが、

わからない人はわっし(せつ:9)まで連絡ください。

 

中路H

三向小卒

1年12組土田学級

2年5組井手学級

3年2組宍戸学級

吹奏楽部

 

2026年

4月29日(水・祝)

10時~15時 

第31回

天王山ファーム

&フードマーケット

会場:JR山崎駅南側広場

さてさて、GWに行なわれる

シロベー(4組)が主催しているイベントです。

 

 

↓過去の映像

 

 

 

世利ゆかりさん

せりべん

大原野小卒

1年6組新井学級

2年12組臼井学級

3年5組小谷学級

女優としてテレビや映画で活躍。

2026年4月3日ご逝去。

 

ゆかりさんの生前の様子を

弟の秀一さんに語っていただきました。

 

仲睦まじい夫婦で

20余年、

姉は横浜で幸せに

暮らしていました。

世利秀一 実弟

 

4月3日と思われます、

姉のゆかりが亡くなったのは。

というのも、

横浜市で、ひとり暮らしをしていた

姉の病死がわかったのは、

4月5日でした。

お医者さんは

「4月3日には亡くなっていた」

と診断したそうです。

4月3日は3人兄弟の末っ子の

妹の誕生日でした。

その妹の子どもが東京にいて

電話をしても出ないと心配して

横浜のマンションを訪ね、

管理人さんに鍵を開けてもらうことにーーー。

病死でした。

昨年3月に実母を亡くし、

昨年11月に旦那が急逝したばかり。

姉はふたりの後を追うように

旅立ちました。

 

姉が『遠山の金さん』(主演:高橋英樹)

などテレビドラマに出始めたのは

二十歳のころだったでしょうか。

そのころは今の洛西髙島屋近くのマンションに

一人で暮らしていました。

華やかな世界に入るやいなや、

役付きとして人気時代劇にレギュラー出演。

それは姉は弟から見てもキラキラしていましたよ。

太秦撮影所にいるころはほとんど時代劇でしたが、

拠点を東京へ移してからは、

ドラマ『太陽にほえろ!』や、

映画『陽暉楼』『修羅の群れ』

といった現代劇にも出ていたんです。

それでもいつしか、

自分で女優としての

限界を知ったんでしょうね。

演者としては見切りをつけて、

それからは芸能プロダクションの

事務仕事、裏方として仕事を

続けていました。

で、結婚して家庭を築いたのは

40歳のころだったと思います。

それからは

年上の建築会社の取締役と

夫唱婦随の暮らしが

20年余続いていました。

遠く離れた地で暮らしているので

実際はわかりませんが、

ありていに言うと

仲睦まじいふたりに見えました。

 

故郷のことを覚えているか?

それが昨年3月に

実母の葬儀でホント久々に

帰郷したときは京都駅の八条口

といってもわからないぐらい

覚えていませんでしたけどね。

同窓会の件で、50歳のときも

この前に60歳のときも私が

昭彦君(齋藤:8)から言われて

姉に打診しました。

そのときは都合が合わず

出席できませんでした。

そのときに

昭彦君、晴彦君(12)

の兄弟のこと。

私が今仕事を一緒にしている

イモさん(2)のことを話すと

懐かしそうにしていましたからね。

だから、乙中のみなさんのことも

覚えていたと思います。

 

今回、訃報をこのブログで

知らせたことによって

いろいろと問合せがあったとか。

実弟の私から、

姉に成り代わり申し上げます。

「乙中のみなさま、

お世話になりました」

 

 

 

世利ゆかりさん、

生まれてきて

よかったでしょ!

下田修司

 

今月にはいって間もないころに

旅立たれたようですね。
お会いできずに残念です。
私は4年生の時に向陽小学校から、

大原野小学校に転校し、

彼女とは5、6年生で

同じクラスでした。

朝礼でグランドに男女別に

背の順番で整列するとき、

いつも同じような場所に並んでました。

黄色の通学帽を被ってる

児童が多いなかで、

彼女は黄色一色の

毛糸のかわいいニット帽を

被っていたことや、

夏場は、幾度かめまい(貧血?)

のような症状を呈してられ、

子どもながらに

「大丈夫?元気になって」

と思ってました。
当時、児童が欠席すると、

給食の食パンを生のまま

ザラ版紙に包み

誰かが下校時に自宅まで

届けるのです。

彼女の場合、通学路の関係で

それは私の役まわりでした。

大原野の幹線道路から一筋入った

道の突き当りに

住まわれていたように思います。

その道は自動車が

一台通れるくらいの砂利道で、

土木作業に従事されている方たちの

長屋の住居が建ち並び、

10軒はあったと思います。

それ以上だったかも。

そのなかほどにカニ(5組:澤田)

も住まわれてました。
一番奥に作業されている方たちの

食堂があって、

そこでお母さんがいつも

お仕事をされてました。

「ゆかりちゃんのパン」

って言って先生から預かった

プリント類とともに届けるのです。
6年生の学芸会でのことです。

劇の配役を決めることとなりました。

劇名も役柄も忘れましたが、

彼女と私が主役だったか

準主役級の役だったかに

手を挙げたのです。

数日後どちらを選ぶかということになり、

クラスみんなの前で、

役の一部を演じ選んでもらうことに

なったのです。

彼女の演技をみて、

「あっ、上手や」

って感じたのは覚えてます。

結局、彼女が選ばれ、

私は別の役に回されました。

当時から、演じることの

才能があったのでしょう。
彼女は、大人しい性格で

今思えば聡明な感じの

子だったように思います。

弟さんと妹さんがおられ、

2歳くらいずつ

離れていたんじゃないかなぁ。

このお二人は元気いっぱいの児童で

ランドセルを背負いながら

走り回って登校してましたね。
中学生になると彼女もテニス部で、

田原さん(3組)とペアを

組み休まず練習をしてました。

熱心でしたよ。

もうその頃はめまい症状も

回復していたんでしょうね。
女優になられ、

『遠山の金さん』に

出演されていたのは

記憶にあります。

映画『陽暉楼』
は劇場に観にいきました。

エンドロールで

「世利ゆかり」と流れたのが

うれしかったのと、

劇中は、見落としてしまったのかなぁ

という少し悔やしかった思い出があります。
人それぞれの人生、

華やかな世界に身をおき

ご苦労の多かったことと存じます。

弟さんのコメントを読ませていただくと、

彼女の後半生は幸せだったようです。
映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』

のなかに、

「……ああ 

生まれてきてよかったなって

思うことが何べんかあるじゃない。

そのために

人間生きてんじゃねえのか……」

っいう寅さんのセリフがあります。
世利ゆかりさんの人生にも

そのような

「生きててよかった」と

思えることが

何度もあったのだとーーーーーー。

そう想い、ご冥福を祈ります……。
合掌。

 

 

ジャレ合っていたような

せりべんとの中3の日々が、

キラキラした想い出です。

山本悦子(5)

 

中3の1年間、

5組でいつもいつも一緒だった4人組。

せりべん、チコ(清水)、コンメ(恋田)

そしてアタシ(えっちゃん)。

なにを話したのか……?

想い出せない(笑)。

ただジャレ合っていた

だけのような気もします。

せりべんの訃報に接し、

卒業以来、

会っていなかったことを想いました。

「どうしてるんかな?」

いつも、どこかで思っていました。

あぁ、コンメ、チコも元気かなぁ。

4人の日々を想うと、

せりべんの笑顔や笑い方が

まざまざと蘇ります。

他愛のない会話が

キラキラした記憶なんです。

なぁ、チコ、コンメ……、

そう思わへん?

だから、3人で一緒に言いたい、

「せりべん、

キラキラした日々をありがとう」

 

 

悲しく残念な情報が入りました。

齋藤Aさんが世利さんの弟さんから

聞きました。

 

世利ゆかりさま

大原野小卒 

1年6組新井学級

2年12組臼井学級

3年5組小谷学級

女優として映画やテレビに出演。

 

4月にご逝去、

葬儀は家族葬ですまされました。

ただただ

ご冥福をお祈りします。