西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

SINCE 2023 11・1 配信休止中 

京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

中路英明

向陽小入学~三向小卒

1年12組土田学級

2年5組井手学級

3年2組宍戸学級

吹奏楽部

 

中路英明オバタラ・セグンド

2024年

7月11日㈭ 

Open/PM6:30 Start/PM7:30

@LIVE SPOT RAG

木屋町通三条上ル上大阪町521 

京都エンパイヤビル 5F

前売:4000 当日:4500

 

チケットのお求めや詳細は

「ライブスポットRAG」のHPからどうぞ↓

 

 

 

思い返せば、

わっし(せつ:9組)がナカジ(2組)

と出会ったのもオバタラのライブだった。

ちょうど不惑、40歳を迎えたころ、

乙中のバレー部を中心としたメンバーで

BBS「乙中の長い放課後」でやりとりしていた。

そのBBSのログで誰かが

「中路くんがテレビに出ていた」

「今やジャズ界では有名らしい」

「世界ツアーもしているとか?」

とかいろいろな噂話をしていて、

ナカジファンのBBSに

大胆にも

「乙中男子バレー部の○○です」

と投稿したのがきっかけ。

そのログにナカジがすぐにレスしてくれた。

それから、京都のライブハウスRAGで

「オバタラ」というバンドのライブがある

と聞いて、数人のグループで行くことに。

今は亡き、のんぴ(2組)やミキ(6組)もいた。

RAGにつくと

ぐっち(5組)、わっきー(7組)、

ら乙中吹奏楽部OBもいて……、

振り返るとこのライブが

乙中同窓会の原点だったのかも知れない。

 

オバタラはナカジの

リーダーバンドだったが

当時は「オバタラ」であって

「セグンド(第2期)」ではなく

編成もメンバーも違っていた。

現メンバーではGの鈴木よしひさ氏のみが

21年前から在籍だ。

 

衝撃的だった。

「なんかわからんけど、すごいぞ、このバンド」

音楽は人それぞれだけど

「圧倒される」「わからんけど、すごい」

聴き続けると……心地よさが増幅されていく。

これが音楽家の

中路英明です。

 

中路英明のオリジナル曲『オバタラ』、

『ミ・ティエラ・ナタール』」は

ロス・アンジェルスやプエルトリコの

FMヒットチャートでも1位を獲得、

ラテンジャズを代表する作品として

海外でもアレンジ譜が出版されている。

 

 

これが世界に通用する音楽なんだ。

その後、オバタラのライブは

乙中の同級生との

再会の場となっていった。

 

不惑でのライブの10年後に

2013年1月3日 乙中同窓会~元気です

その21年後に

2024年3月30日 乙中還暦同窓会~ありがとう

2回の同窓会のオープニングに

ラテンジャズ界では“帝王”と呼ばれる

中路英明(Tb)が

生音を聴かせてくれた。

ナカジ、毎度、ありがとうーーー^^b

毎回「なんて、ぜいたくな演出だ」

と思ってます。

 

というわけで

中路英明オバタラ・セグンドに関しては

肩入れしすぎなわっしですが

肩入れするにふさわしい音楽だと

自慢しています。

 

 

 

109

👨

瀬津H

せっちゃん、ひろし

向陽小卒

1年10組茨木学級

2年7組澤田学級

3年9組臼井学級

バレー部

 

2013年1月3日の同窓会で

「10年後にやりましょう」

と言ってはみたものの、

できないだろうと……。

なにが問題なのか?

やらなければならない。

という義務感とか責任感だった。

とことん無責任な自分や

時には逃げる自分を

60年も生きていればわかっている。

そんなにリッパな男ではない、ホント。

考えるだけユウウツになるので

考えないようにしていた。

やがてコロナ災禍がやって来た。

同窓会はできないという現実。

 

 

2023年が明けた。

乙中同窓会はあるの?

という声が聞こえてきた。

当時、ブル(4組)とふたりで

年に数回食事をしていた。

こーゆーのが楽だった。

でも向陽高の同窓会が着々と進んでいた。

わっしとは考え方が違うなぁ、

というふうに思うようになっていた。

あれ? やりたいのか?

と自問自答を繰り返す。

でも、どうなんだろう?

もう1回、最後にやってみるというのは……。

と考えると

いやいや、そんな簡単にできないでしょ。

そんな意思の強さや作業をする体力は

ないでしょう。

中途半端になるのが一番悔いることになる。

ブルとのむさんがいれば出来るのでは?

やりたいのか、オレ?

いやいやいや……

自問自答の繰り返し。

義務と責任ではできそうにない。

出版と広告で30年の製作キャリアがある。

つくりたいという意思がなければ

できない。

諦めようとしていた。

 

 

そんなとき、ある映画を観た。

『雨あがる』

黒澤明監督の遺稿脚本の映画だった。

心が洗われた、まったく。

エンディングに感動し、

3回観なおした。

これだ!と思えた、映画なのに。

映画のプロットを書きだし、

自分なりに黒沢明の想いを想像した。

てらいなく想いをなせば、

悔いることなどない。

 

責任と義務から解き放たれた。

I Shall Be Released

つくりたい、感動するような同窓会を。

 

ブル(4組)に

「どうしても乙中同窓会をやりたい

ブルの力が絶対に必要だ」

ひろみ(12組)には、

感動する同窓会をつくりたい

と訴えるように伝えた。

そして7人に想いを伝えた。

「せっちゃんの頼みを断るはずないだろう」

とノムさん(4組)。

えっちゃん(9組)は

すぐに何人もラインでつないでくれた。

「ブログに連載って20回も書くの?」

と、しゅうじ(4組)は

すぐに予定稿を送ってくれた。

 

同窓会とブログでムーヴメントを起こす

11年前の164人を超える参加者を

 

なぜそんなに

人数にこだわるのか?

乙中卒業生約500人の存在は

等しく500分の1。

その1は唯一無二の存在だから、

その1が集まることでしか

力(感動)は生まれない。

並大抵のことではない。

覚悟を決めた。

全員が主役のパーティをつくりたい。

 

……3月30日を迎えた。

 

♬楽しんでくれてほんとにありがとう。

 

みなさま

わっしは昨夏から

ずーーっとずーーっと楽しんでました。

その楽しさは

このブログを読めばわかると思います。

100人超の同級生にラインや

メールをして

電話をして記事をつくってきたのです。

 

そのなかでまるで映画を観ているように

心が洗われる体験を何度もしました。

ちょっとした人への優しさ、

再会への素朴な想い、

会いたい想いが

かなえられなかった悲しさと、

会えずとも

心がつながったときの嬉しさ。

初恋へのせつない想い、

亡き恩師へ思慕。

亡き友人を偲ぶ想い

………。

 

161人が集まった感動。

161人超がつくった同窓会。

 

なぜ161人超?

欠席者でも

励ましてくれたり、

応援してくれたり、

協力してくれた人が

何人もいるからです。

ヤマムラミワさん(7組)、

カーポン(5組)、ふーちゃん(6組)、

ケン(11組)、シンヤ(3組)

マチコ(9組)、ことり(12組)

マユミ(10組)、オザワさん(6組)、

スギハラせーちゃん(6組)、

中山サンキチ(10組)、

ニシムラユリコ(9組)、シオジリマリさん(4組)、

かずたん(10組)、マミー(2組)、

サルオ(12組)

トット(10組)…………書ききれない。

はて?……

164人を軽く超えてるやん

 

同窓会が終わり

みなさんに「ありがとう」と感謝していただき、

わっしも「ありがとう」と返す。

ほんとに、

 

I Shall Be Released

(解き放たれた)

108

👨

野村M

のむさん:向陽小卒

1年8組臼井学級

2年7組澤田学級

3年4組林学級

テニス部

 

先生をはじめ、

多くの方に参加していただき

有難うございました。
無事に終われたことに、

ほんとホッとしています。


思い返せば、

昨年の夏に瀬っちゃんから連絡があり、

還暦同窓会やるし幹事してほしいと。
瀬っちゃんからの連絡に

1つ返事でOKと。
11年前の思い出をもう一度という思いは、

瀬っちゃんと同じ気持ちでした。
中川ブルと3人でということで

スタートしましたが、

前回同様瀬っちゃんに

おんぶにだっこという感じで、

任せっきりに。
何人ぐらい来るかな、

前回よりも多かったら

いいのにと思いながら、

でもいいとこ

100~120人ぐらいかなと

勝手に思っていました。


多くの発起人のみんなが、

名前をつらねてもらってもやっぱり不安。

瀬っちゃんは、

前回より多くと言い続けた。
年が明け、少しずつですが、

参加のたよりが増えてきて、

瀬っちゃんの予想通り160人ぐらいが

参加してくれそうになり、

うれしい気持ちと参加してくれたみんなが

来てよかったと思ってくれるよう

頑張らなあかんわという気持ち。
ホテルやレストランと違い、

手作り感たっぷりの会場。

準備不足は無いかなんて考えると

どんどん不安感たっぷり。

でもみんな手伝ってくれるし、

失敗部分があっても

みんな許してくれるという思いでやっていました。
当日は、いたらない事も

多々あったと思いますが、

許してください。
あまり幹事らしいことはしてないですが、

みんなの楽しく会話している

顔を見れたことで、

何とか役割果たせたかなと思っています。
みなさん、本当に有難うございました。

 

107

👨

中川H

ブル:三向小卒

1年2組宍戸学級

2年4組土田学級

3年4組林学級

バレー部

 

 

『たのむ!もう一曲、歌わせてくれ!!』

そして、土田先生の歌声が響きわたった。

2次会の終了時刻8時30分のことだ。


「一次会、160人、二次会100人、集まったんです」

ボクは職場の

何人もの人に興奮気味に話した。

「ふつう、そんなに集まらないよ」

「なんなのそのパワーは?」

「2時から9時まで?激しすぎる!!」

と異口同音に言われた。
 

やはり、ボクたちの

乙中時代はすごかった。

そして、その後の人生を今も

たくましく生きている

みんなはすごかった!
 

きみにありがとう

とてもありがとう、

もう会えないあの人にありがとう、
まだ見ぬ人にありがとう、

今日までボクを支えた情熱にありがとう。

 

 

 

106

👨

下田S
しゅうじ

向陽小入学~大原野小卒業

1年6組新井学級

2年4組土田学級

3年4組林学級

テニス部

 

季節は、

春から初夏へうつろうとしています。
早いもので、

あの日からひと月が経ちました。
45年ぶりに会った友達や、

お互い知ってはいたものの

初めて話した同級生も

おられたことでしょう。
昨年の11月から約半年間、

私の、拙い文章にもお付き合いいただき

感謝いたしております。
この度の再会を機に、

皆様の人生に彩りが

添えられますことをお祈りしております。
 

令和6年4月
下田