【2013アーカイブス】土田先生からの便り | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

2013年1月3日の乙中同窓会

準備ブログに掲載した記事の

再掲載です。

 

文:土田康紀

ご無沙汰しております。

事務局の方々、ごくろうさまです。

 

ぼくが教員として、

はじめて勤務したのが乙訓中学校でした。

急に1クラス増えたとかで、

採用された学校。

1976年3月31日に

京都府教育委員会へ行くと、

担当者から

「社会と国語の2教科を教えてもらう」

とのこと。

まぁ何とかなるな?と思いました。

そのあと、

乙訓地区事務組合教育委員会へ行き、

はじめて乙訓中学校の

門をくぐりました。

 

1年生の担当で、

1年13組までありました。

ぼくは、6・9・12組の

社会12・13組の国語を担当。

なんと担当の12組へは国語と

社会で週9時間も行くことになりました。

(何で、こんな古いことを覚えているのか、不思議です)

6・7・8・9組は中庭の木造校舎、

10、11組はグランド横の木造校舎、

そして、12、13組はプレハブ校舎でした。

グランドに面しているので、

休み時間はいつもグランドへ

出て遊ぶことができました。

 

ただ夏は暑いし、

校舎の横に溝があったので蚊は多いし、

冬は寒いけれど、

グランドにすぐ出れるというのは、

子どもたちにとってはいい校舎でした。

でも、雨の日は傘をさして教室へ行きました。

 

あれから36年、

今年で教員生活に終わりをつげます。

そして、みんなも50歳。

月日がたつのはホントに早いものです。

大阪に転勤して、今3校目です。

定年退職を迎える年に、

同窓会が開かれるというのも、

何かの縁でしょう。

 

1月にみなさんとお会いできることを

楽しみにしています。

それでは。

 

2012年11月24日

八尾市立桂中学校 土田

 

1年12組担任

2年4組担任

3年12組担任

野球部顧問