【週刊しゅうじ新潮:9】50年前の“地”に降り立てたなら | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

文:しゅうじ

遠い昔のこともあれば、

そんなに時間の経ってない頃とか、

さまざまな設定で、

過ぎ去った時間に登場する映画や

ドラマって結構あるじゃないですか。

そのような気持ちになった事ってありません?
 

Uuuuum. 自分の黒歴史を変えたい時とか(笑)?


私はといえば、例えば、

50年前に過ごしていた地域、

よく足を運んだ場所、

それこそ、良く遊んでいた友達の家とかを

眺めてみたい。

「毎日、何をしていたんだろう。」

という気持ちになります。

「もうちょっと、

 ここガンバってたら良かったのに。」

と思うこととか。
でも、やっぱり「あとの祭り」。
仕方のないことには、

自己肯定感を持つことが

幸せにつながるのかもしれません。
当時は、上植野のショップセンターや、

東向日の駅前センター等は、

いつも、人であふれていましたね。
 

向日市の人口は、

昭和50年より令和4年のほうが

約10,000人以上増えてるのに。

なんで???

やはり、これって少子高齢化?

それとも、共働き世帯が増えたから?
JR向日町駅のコンビニエンスストアーの場所は、

当時、国鉄の小包みの配送受付でしたね。

幾度となく母親に連れられ、

小包みの配送依頼していたことを思い出しました。
私のなかでは、グレーぽい薄暗いイメージです。

当時、国鉄向日町駅から乗車しますと
「阪急電車は明るいのに!」 と、

小学生の私はいつも思っておりました。
なんというか、奥村チヨさんが歌っていた

「終着駅」のイメージでした。

(私だけ?変かな? この歌は失恋の歌ですが

 当時はそのようなことを理解するべくもなく)
当時、在来線は、京都駅から西明石駅までが

区間でしたので、

西明石駅は、まさしく終着駅でした

(今の西明石駅、新幹線側の駅舎はきれいですよ)。
 

私のように地元から離れて暮らしていると、

同窓会のような行事は、

同級生のことを思い起こしたり、

幼いころの記憶を反芻できたりする

良い機会であります。
小、中学生の9年間、

今思えば楽しかった記憶の方が多いですね。

10年前にも書きましたが、

川辺先生が授業で

「今は辛いことでも、将来、

 笑って話せる思い出になる。」

というようなことをおっしゃってて、

大方の事はそうだなぁ、

先生はいい事を話されてたなぁ
と思います。

只、学校のいじめ問題等の報道に

触れますとやはり、

胸が締め付けられますね。
 

鉄腕アトム、リボンの騎士、ゲゲゲの鬼太郎、

マグマ大使、ひみつのアッコちゃん、

のらくろ、怪人21面相、天才バカボン、

仮面の忍者赤影、赤胴鈴之助、仮面ライダー、

ウルトラマン、ガメラ、

モスラ、ゴジラetc. 
数えあげたらきりがありません。

アニメ作品の数は、

今より、ずっと多いと思いませんか。


さすが、“Cool Japan.”

なかでも、仮面ライダー、

ウルトラマン、ゴジラ等は、

今でも、TV、映画上映等がなされてますね。
2023年10月7、8日の両日、

家族で宇都宮に出かけてました。

半日ほど時間が空いたので
息子と二人東京へ向かい、

月島でもんじゃ焼きを食べてました。
「そういえば、最近、東京タワーを見てないなぁ。」

と思いたち東京タワーへ。
トップデッキまでのチケットを購入。
観光客が多かったですね。

メインデッキから、

トップデッキに行くエレベーターは50分待ちでした。
トップデッキから見る東京の街並みは、

ゴジラの、破壊したい気持ちが

少し分かるような、

分からないような

(不謹慎で申し訳ございません)

・・・あげく、ゴジラは、

東京タワーまでも壊していたような???
と言うことで、

「50年前の東京に降り立てば、

ゴジラに踏みつぶされてたかも!」
「京都でよかった。」

ゴジラなだけに、

「(ゴ)傲慢」「(ジ)自信過剰」

「(ラ)乱心」にはお互い気を付けましょう。
 ♫デデン♫ お後が、よろしいようで。

では、会える時を楽しみにしています。

 

 

下田S:大原野小卒

1年6組新井学級

2年4組土田学級

3年4組林学級

テニス部