【ギタン:5】ケンちゃん(宮脇康之)のその後 | 西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

あの有名人は

ゆる~くあの同級生に似ている。

これをギタンと呼ぶ。

男性アイドルといえば

今をときめき騒がれる

スマイルアップ系(旧ジャニーズ系)を

思い浮かべる人が多いだろうが、

少年アイドル系も昔からいた。

その代表格がケンちゃんだった。

乙中で、小学生時代の

少年アイドル系を挙げるなら、

しゅうじ(4組)、メカゼ(4組)だろうか?

同級生の女の子から「カワイイ!」と

言われるキャラ。

ケンちゃんこと宮脇康之も、

向日台の少年アイドルだった。

小学生向日台同級生女子からの

人気は絶大なものがあった。

 

 

ケンちゃんこと

宮脇康之と知り合ったのは

いつごろだっただろうか?

「集会棟の下の三角公園と呼ばれる

 空き地があったやろ?

 あそこで野球をして遊んでたで」

当時、向日台団地に

子どもはたくさんいた。

男の子の遊びは野球。

したがってスポ少で

野球をする同級生多数。

向日台だとカンちゃん(3組)、

Oケン(11組)、キマ(6組)、

おーちゃん(7組)、マニ(11組)……。

小6の夏、少年たちは宇治の黄檗球場で

遊びの野球で培った力を発揮する。

わっし(せつ:9組)が5番キャッチャー、

ケンちゃんこと宮脇康之は

7番レフトだった。

「あのとき目が真っ赤になってて

目薬さしながら出続けたのだけは

覚えてるわ。

それをIさん(指導者)に褒められてなぁ」

その後、宮脇とわっしは一試合だけ

バッテリーを組んだことがある。

宮脇は“ていねい”で器用な野球少年で、

ピッチャーをさせてもコントロールがよく、

たんたんと投げていた。

力感はないが、どんなことにも

すごくていねいに取り組む。

それが今も

彼の良さであり続けている。

 

とはいっても少年時代のこと。

一緒にたわいもないことをして

遊んでいた。

中学に入学したとき、

向日台のOケン(11組)、

なっちん(1年7組)、

そして宮脇と一緒に上植野にある

幼稚園で運営されていた

学習塾に行っていた。

「ほんま、勉強していたのは

最初の4月ぐらいで、

あとはよくサボってたなぁ。

教室を抜け出してなぁ」

幼稚園の小さな運動場に

大きな樽が置いてあり、

4人ぐらい入れた。

そこにハシノグチ君(7組)が

仕入れてきてくれた。

お菓子を持ち込んで

暗闇で食う。

振り返ればほんとガキっぽい(笑)。

 

考えると

ケンちゃんこと宮脇康之も

小学生時代は

チャンづけで呼ばれていた。

カーチャン

カオルチャン

を経て、かおるとなった。

 

小林K

かおる:向陽小卒

1年10組茨木学級

2年9組宍戸学級

3年6組尾藤学級

スポ少野球

 

洛西ニュータウンに暮らし続け、

3人の男兄弟のお父さん。

長男は東京に暮らしている。

40代から地域のNPO法人に参加し

介護ステーションで

訪問介護の仕事をし続けている。

今は介護ステーションの管理者。

 

三男坊が大学でラグビーを

続けてるんやわぁ。

いちおう、高校時代は

滋賀県代表で

花園に出場したんやで!

それがコロナ禍で

家族は花園へも行けへんかった。

今の楽しみは

夏に菅平に行って、

ラグビー合宿の観戦。

息子はえらいと思うけど、

夫婦ふたりは高原の爽風、

青い空、緑の木々やフィールドの芝。

菅平はほんま気持ちいいですよ。

では、乙中のみなさん、

3月30日に会いましょう。

 

で、来週のギタンは↓

 

テキサス刑事

こと俳優の勝野洋さん、

……にゆる~く似ている

同級生、これがギタンです。