【プレハブジャーナル2023】ついに復刊! 47年ぶり | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

SINCE 2023 11・1 配信休止中 

京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

文責:土田紀康

 

<一本道> by 友部正人
ふと後ろをふり返ると 

そこには夕焼けがありました 
本当に何年ぶりのこと

そこには夕焼けがありました
あれからどの位たったのか

あれからどの位たったのか
ひとつ足を踏み出すごとに

影は後に伸びていきます
悲しい毒は 

はるかな海を染め

今日も一日が終ろうとしています
しんせい一箱分の一日を

指でひねってごみ箱の中
僕は今 阿佐ヶ谷の駅に立ち

電車を待っているところ
何もなかった事にしましょうと

今日も日が暮れました
あヽ中央線よ 空を飛んで

あの娘の胸に突き刺され
 

どこへ行くのかこの一本道

西も東もわからない
行けども行けども

見知らぬ街で

これが東京というものかしら
たずねてみても

誰も答えちゃくれない

だから僕ももう聞かないよ
お銚子のすき間からのぞいてみると

そこには幸せがありました
幸せはホッペタを寄せあって

二人お酒をのんでました
その時月が話しかけます

もうすぐ夜が明けますよ
 

「君は旅に出たか」
1976年4月、

乙訓中学校1年2組にスタートした

「プレハブジャーナル」

はわずか1年のことだったが、

いまだに覚えていてくれる人たちが

いることに驚き、

感謝するしかない。
1979年3月、

中学校を卒業した若者たちは、

新しい道へと踏みだした。

16歳からはじまる新しい旅、

その時「幸いあれ」と祝福したぼくは、

今71歳を迎えている。
ぼくが乙訓中学校から

スタートした教員生活、

勤務した中学校は4校、

社会科の1教員として

子どもたちと向かいあってきた。

そして2013年3月31日に

定年退職した。
「プレハブジャーナル」

とともにスタートしてから47年、

自分のやりたいこと、

やりたいと言い続けてきたことに

きちんと向き合えているのか、

諦めたふりをして

自分を誤魔化して生きているのか、

と自問する。
頭や身体がままならない

年齢に達すると、

もう夢や目標については

何も話さないことも多くなり、

つまらない日々に

流されてはいるものの、

自分の中ではそれでも

今も夢を語っている、

いや、語りたいとおもっている。
ただ言えることは、

ここまでの自分の旅路をふりかえってみて、

まだ、

どこへもたどり着けていないということ。
 

土田先生

1年12組担任

2年4組担任

3年12組担任

野球部顧問

 

土田先生の連載は年内は

次回、来週水曜日。

年内は2回のみです。