【乙訓ジュブナイル】ボクの気持ちは迷走し続けて…… | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
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すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
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あざやかに彩るために配信していきます 

ぼくの乙中クロクニル4

著:Nブル

三向小卒

1年2組、2年4組、3年4組

バレー部

 

《エピソード 2》のつづき
 

中2になって部活は充実してきた。

相変わらずS戸先生は熱血だった。

意味なくビンタされることもあり、

ある時は強烈に反抗した。

G野先生に「コーチに文句言うたらあかん」

とたしなめられたが、

ボクたちも血気盛んな気持ちを抑えることは難しかった。
 

秋の新人戦(乙訓大会)は圧勝だった。

他校生徒は初めての実戦、

こっちは一年越し。
当たり前と言えば当たり前だった。

山城大会では東宇治中学校に善戦したが、

府下大会までは行けなかった。

実力は大したことなかったということか。
 

女子バレーに新たな顧問が加わった。

新人のT村先生(国語)。

小柄でとっても美人で、

男子バレーのマドンナになった。

女子バレーの連中から、

ガキンチョのはしゃぎっぷりを馬鹿にされ、

妬まれた。

でも、そんな「焼きもち」が

何だかとっても気分よかった。


ボクの初恋は、

進展し、そして、迷走した。
 

ボクたちは、

部活が終わって一緒に帰るようになった。

周りのみんながお膳立てしてくれたからだった。

文通も続いた。

彼女は、当時流行っていた

「恋人折り」という折り方で手紙をくれた。

それがとてもうれしかった。
 

秋ごろになって、

男子バレーにある噂が回ってきた。

┅┅┅“男子とつき合っている者は

レギュラーになれない”という噂だった。

ボクは彼女に確かめた。

「わたしもそうやねん」
と彼女は言った。
 

ボクは彼女に

「引退するまでつき合うのをやめよう」と言った。

「エースをねらえ」の岡ヒロミと

藤堂選手を重ね合わせたのだろうか、

かっこつけることが中2のボクにとって

最優先されているかのようだった。

彼女はボクの提案に黙ってうなずいた。
 

しかし、ボクの「かっこつけ」は

一か月しか持たなかった。

一か月して、やっぱりつきあおうと手紙を書いた。

返事が来て再びつき合うことになった。

でも……、

でも、二人の関係は嚙み合わなくなった。

ボクはその時、

何かに忙しかったのだろうか、

別のことを考えていたのだろうか、

今では何も思い出せない。

でも、彼女を大切にすることができなかった

しこりのようなものだけが

今もこびりついている。
 

ボクたちは、自然に心の距離が離れていった。

そして、どうにも戻せなくなっていった。

中2の終わり、

ボクは生徒会の役員に当選した。

3度目の立候補での結果だった。

会長はグっちゃん(S藤K嗣)、

ボクは副会長だった。

乙中のリーダーとして邁進することが唯一、

自分のアイデンティティになっていたのか。

乙中の生徒会活動の激しさ。

「やり過ぎ」に反発しつつ、

しがみついていた。

本当の、ありのままの自分はまだ見えなかった。

 

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