【2013アーカイブス】ふじじ書道一直線ダイジェスト2 | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

 

藤井Y

👨

ふーちゃん、ふじじ

向陽小卒

1年9組小倉学級

3年6組尾藤学級

 

あれは中学2年になったばかりではないだろうか……。

体育の授業のとき、すごかったのを覚えています。

しかも鮮明に……。

マグマ大使の敵として出てくる

「人間もどき」っていう

なにか気色悪い、顔もない

妖怪みたいなやつが

マグマ大使の光線でやっつけられたら、

“人間もどき”は溶けて液体になり、

その液体の色が……青紫の薄い色、

この世のものとは思えない……。

そう、この色。この世のものとは思えない

色のジャージを履いていたのが

臼井先生だ。

この世のものとは思えないジャージを着て

白地のV首シャツという出で立ちで……。

今でいうたら内村航平のような床演技を

自慢げにやってのける臼井先生。

すごいよねぇ~、

たしかこのとき、体操部の顧問をやって

おられたんじゃないかなぁと思います。

そしてべっこうのような

重厚な縁取りのメガネをかけて……。

特徴ありすぎの先生ですわぁ。

もともと顔も濃いソースタイプ、

お髭が非常に濃いのが印象的でもありました。

また、この先生が怒ったとき、

異常なくらい怖かった。

それこそ『河内のオッサンの唄』を

彷彿させるようないかつい声で

体育の授業中に生徒がざわざわしようもんなら、

「おい、なにしとるんじゃ~

 わかっとんのか~

 人の話をきけやぁ~

 あほ~か~!」

あほ~かぁ~!ですよ。

人格も何もあったもんやないですわ。

いまの教育規定なら処罰されるかも……です。

 

あの頃は

生徒を真剣にこころから怒ってくれる

先生がおられたことは確かです。

臼井先生、バンザイ、\(^o^)/n万歳!

 

 

 

社会の授業……。

土田先生の雰囲気……、

最後、卒業前は短髪だったイメージが

残っていますが、

最初はマッシュルームカット

だった時期があったような。

なんとなく、

ゆっくりな口調だったような

印象が残っています。

で、授業の話題が、

なんとなく生徒にとっては、

まったく授業内容とは関係ないのに、

それまであまり面白くない

硬い社会科の授業から一変して

中学生が興味を持つ話題に

急に変わることがあったのを覚えています。

なぜそんな話になったのか

わからないですが……。

「日本一のギターリスト、

 誰か知ってますか?」

という話で

Char(チャー)の話へ。

聞いていた生徒は、

「あんまり知らんわ」って感じ。

『気絶するほど悩ましい』が、

たしかこのときの

彼のヒットだったのでは?

この土田先生の横道。

それた授業が

生徒にとっては、

気持ちのうえでは

救いだったのでは……。

いまから思えば非常に思います。

社会の授業もCharの曲と

ともに覚えながら

テスト対策できたら最高!かなぁ!