2024/4/28「イチゴを届けること以上に、重要な仕事なんてない」 | みーちゃんの、認知行動療法的ワンバース

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日記のような、違うような。

 

 

 

10時起床。夢を見過ぎてパニック状態。よく解らない。朝のルーティンを行い、アイスコーヒーを買いにドラッグストアへ行く。クッキーとコーヒーを購入。他の物は、無理して買わないことにした。偉い。

 

 

 

戻って、PCを眺め、コーヒーを飲んでいると、珍しく、ばあちゃんから電話は来た。最近顔を見せないけど、何してんだ?とのことで、退屈だから遊びに来て欲しいのかな?と咄嗟に思い、午後に郵便を受け取ったら遊びに行く、と答える。

 

 

 

比較的早く郵便も到着し、車で出発。天気が良いので、車の中は温度が上がり暑いので、Tシャツで行くことにする。久しぶりに着たミッキーのTシャツが可愛い。ミッキーティーーー!お腹の出っ張りも、ギリギリ強調されていない。

 

 

 

途中、スーパーで、とちおとめと台湾パイナップルを購入。台湾は仲間だから、パイナップルとバナナは台湾でいく、ってことでもないのだが、爪楊枝に刺さった試食がバチくそに美味かったので、購入した。知らないおばさまが、パインを頬張っている俺の顔を見つめてきたので、めちゃめちゃ美味いよ、と宣伝する。あらま~、と言う。

 

 

 

うちのばあちゃんはと云うと、特に用事もなかったようなのだが、最近あったむかつく話などを話してくれる。嫁の態度が如何なものか、なんて感じだ(笑)。こっちもたわいもない話をする。イチゴにはとても喜んでいて、熟れたパイナップルを、美味いと言って何切れも食べていた。ふと立ち上がると、お前にやる、と言って、僕の手に1万円をねじ込んだ。

 

 

 

こんなもの貰っちゃったら、必ずドライブに連れて行っちゃうんだからね!覚悟はいい?(笑)と言って、近所の道の駅まで、運動がてら出掛けることにする。連休中ということもあって、観光客が大勢いるが、残念ながら、桜はもう散っている。それでも、施設の老人と職員なんかが、遠足を楽しんでいる。これ可愛いな、と言ってばあちゃんが手にした、スイカの形の飴ちゃんなどをお会計する。

 

 

 

しかし、今日はちょっとへばるのが早い。疲れた、座りたいなあ、とのことで、少し早めに切り上げて帰宅する。このぐらいが、本来の体力だと見当を付けていた方が無難なのだろう。92歳である。冗談で、死んだらどうのこうのなどという話を笑いながらしている。俺もあえて、明るく返している。

 

 

 

家に戻ると、俺にアイスクリームで食べろ、と、、、、、打ち合わせも、過去に言及したこともないのだが、モナ王を差し出してくる。これほど、テレパシーを信じたことはない(笑)。とても良い気分である。そして、1時間ほどすると、もう一つモナ王を持ってくる。この世に神は存在するかもしれない。

 

 

 

自分で文句を言っていた嫁について(つまり俺の母になるのだが)、帰ってきたら、一言でいいから優しく声を掛けてあげなさい、と諭される。実に優しい、尊敬すべき言葉である。笑顔で別れを述べる。帰りにお惣菜でも買って行きなさい、とのことであった。感謝感謝。

 

 

 

アパートに戻ると、ベッドへ寝そべり、眠ってしまう。あら~、体力ないわ~。ちょっと、フルタイムの労働に耐えうる体力ではない。19時に目を覚ますも、仕事に集中力は向かない。相変わらず、街裏ピンクさんの動画を、100回観ている。もはや条件反射的に、PCを開くと聴いてしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生に意味はない。これは悲しく、虚無的なことだ。もうどうでもよくなる。誰でもそうだと思う。そんなの何のこっちゃ、という方は、それはそれで良いのだが。一見ネガティブに感じる、この宇宙の仕組みだが、物事には必ず、絶対必ず、裏の側面というものが存在する。何にだってそうだ。良いことの反対には悪いこと。その逆も然り。「側面」と言うだけあって、必ず別の側面が存在する。「人生に意味はない」ということの別側面は、「正解という概念すらない」ということだ。入試の様な、正解があるわけではない。人生は、もっと破茶滅茶であればいい。人生は、びっくり人間コンテストである。思いっきりエントロピーを拡散させて、散らかしまくって死ねばいい。思いっきり変な人間になればいい。窮屈に思う必要はない。それこそが、ロボットにはできないことだ。