Q腕の投稿を転載します。何かのお役に立てれば幸いです。

 

 後期高齢者の親がクレーマーです。親の言い分がおかしいことを指摘すると店の味方をするのかと不機嫌になります。こんな親を諭すのは無駄でしょうか?
 

 

 リクエストありがとうございます。誰もが気づいていないと思いますが、言っていることを否定されると自分が否定されると思うのが現代人です。それは、子どもが何かを言ったり行動したりして親に叱られたら悲しくなって泣くのと同じなのです。

 

 自分の視点しか持たないので、他人の立場に立って物事を考えられないからそうなるのです。

 

 要は、典型的なアダルトチルドレンという奴です。従って、ストレートに指摘してはいけないという事になります。先ずは、親の考えを肯定してから、別の考え方もあるみたいに言わないと通じないのです。

 

 諭すというのはそういう事ではないかと思います。相手の立場に立たないと諭すことは出来ません。それが出来ないという事は、将来、自分も親と同じようになるという事になります。

 

 何かをやってダメなら無駄・・・ではなく、別の方法を探るのが大人ではないかと。それが出来るのが人間という生き物だと思います。

 

 人間は言葉を持っているのですから・・・・しかし、現代人は、言葉を上手く使えない。だから、言葉で人を活かすことが出来ない。言葉で人を殺すことしか出来ないのです。

 

 そして、問題はそれに気づいていないという事です。互いに一方的な言葉でモノを言い合えば最後は喧嘩になり人間関係は壊れます。そして、人間は孤独になり一人寂しく死んでいくのです。

 

 そういう人間を見てバカな奴だと思う人は多いかもしれませんが、そう思う時点で自分も同じ道を歩むことには気づかないのです。

 

 他人のふり見て我がふり直す

 

 という言葉がありますが、ふりから何を考えるかがないと意味がないのです。見た目だけ整えてもダメだなのです。

 

 

 久しぶりにQuoraでの回答を転載したいと思います。何かの親に立てれば幸いです。

 

 65歳から楽しい事がありますか?

 

 確かに若い頃にはそう思えるのかもしれません。まさか自分を60歳過ぎてから人生がこんなにも楽しくなるなんて全く予想してなかったことです。何が楽しいかって?言葉にすれば全てが楽しいってことになるでしょう。

 

 そんなことあるわけない!!!って思うでしょうし、私もそう思っていましたが、実際にそれを経験すれば、そうだとしか言えないわけです。歳を取れば分かると言いたいところですが・・・・

 

 現実にはそういう年寄りばかりではないのでそう思えないのだと思います。自分という人間を観察してみて何が彼らと違うのかと言えば、学ばない人間であるという事です。

 

 学というのは真似るという事です。他人が持っている知識や情報を得て、それを使って生きることだと思います。

 

 それが楽しい人はそれでも良いのですが、私は他人を真似るのが大嫌いなのです。そうなると何をやるかと言えば、自分で考えるしかないのです。考えるとは想像することであり、想像は自由で無限なのです。

 

 明日何が起こるか分からない世界は、学ぶ人にとっては怖い明日となるのでしょうが、考える人にとっては楽しみしかないのです。これを経験しているから、ココでも学ぶことを止めて自分で考えて行動する習慣を付けようと言っているのです。

 

 学ぶとは過去を真似ることなので、現在が最新でそれ以上の未来はないのです。しかし、考える人は、現在は終わった過去であり、最新は未来にあるので、そこを見ているから楽しいわけです。

 

 草木が日々成長するように、人間も日々成長しているわけで、現在はそれが止まった状態という事になります。そして、そこから一歩前に行くことで成長が再開する。

 

 極端に言えば、今の自分と一秒先の自分は違うのです。大人になった成長した自分に会いたいとは思いませんか?今の惨めな自分はその為の通過点に過ぎないのです。そこの縛られて意味がない。

 

 もちろん、未来に良い事だけがあるわけではありませんが、自分で考えて行動する人間は、如何なる問題が起ころうとも、それをキチンと受け止め改善すべく自分で考えて行動しようとするのです。

 

 何故なら、それが解決する未来を見ているから。その為に生きるからです。

 

 現状はどうでも良いのです。それは過去の結果であり、未来には何の関係もありません。大事なのは常に未来なのです。そして、未来は、その現実を受けて何を考えどう行動するかで決まるのです。

 

 もちろん、その行動が改善を促すとは限りませんが、それを受けて更に考えて行動することを繰り返していけば、必ず上手く生きようになるわけです。

 

 人生は仕事とは違うので締め切りもありませんし、自分の思うように進めることが出来るので、とても楽にそして楽しく進められるのです。

 

 それを何年も繰り返して行ったらどうなるのか?これが想像できるかどうかでワクワクするかしないかという事になると思います。

 

 自分で考えて行動する人間は、それが何を引き起こすかが想像できる人間です。それが想像できればワクワクするしかないと思います。

 

 仕事(金儲け)みたいなつまらない事に人生を費やしていては、この世界を知ることは出来ないかも知れません。

 

 もちろん、自分で考えて行動する人間は万能なので仕事(金儲け)だって上手く出来ますが、そういうモノに価値を見出さないので大抵はやらないと思います。人生はプライスレスですからね・・・

 

 戦後一貫して伸び続けたガソリン消費量は2004年の6,147万㎘を最高に減り続けており、2021年は4,643万㎘となっています。率にして25%程度の減少となっているようです。

 

 この原因として考えられるのは燃費向上だと言われています。そして、ここからが重要なのですが、経産省の見通しでは、今から比べて2030年には6割減になると予想されているのです。

 

 それは、ガソリン価格を6割引き上げることになるでしょう。下手したら1リットル300円を超えて来るかもしれませんね。もちろん、その間に給与は下がりますが^^;

 

 燃費向上で20年足らずで25%程度だったものが、今後は10年足らずで6割も減少するとされているわけです。これが何を意味するのかと言えば、これから日本がどうなって行くかを政府はある程度知っているという事でしょう。

 

 そこまで減るにはガソリン車(HV車も含む)が6割減ると考えれば良いのではないかと思います。これらの車の燃費向上は限界に来ているために、台数が減らないとガソリン消費量が減らないからです。

 

 もちろん、6割減が全てEVになるのではありません。ガソリン車か電気自動車という自動車産業の話ではなく、現行自動車を持っている人が買わなくなるという事です。

 

 若者は既に買うのを諦めてカーシェアリングを始めていますで、若者が買う台数は若者が減っても大きく変わることはないでしょう。

 

 それよりも、団塊世代という高度経済成長を支え、マイホーム、マイカーを夢見て働いた人たちが持っている車が大量に無くなるという事ではないかと思います。

 

 その最大の要因と考えられるのが何度も取り上げている認知症という脳の退化です。認知症患者が今後急激に増えることは世界でも予測されていることであり、どれくらい増えるのかに戦々恐々としているのが政府ではないかと思います。

 

 今のところ2019年以降の新規の認知症患者の発表が無いので、2023年までがどういう状況かは分かりませんが、このガソリン消費量という未来予測からそれを見ることが出来ると思います。

 

 2024年1月の乗用車保有総数は約6,400万台となります。これらの大半がガソリン車(HVを含む)ですから、この6割が消えるとどうなるかと言えば、残りは2,560万台となるわけです。

 

 その内、EVに置き換わるのが最大で3割の1,920万台となり、

 6,400-1,920-2,560=1,920万台となります。最も認知症が多いとされる高齢者の人口が現在3,617万人であり、2030年には4,000万人を超えると思われます。

 

 その内半数弱が運転できない状態となっているという事になるのではないかと思います。2030年には認知症患者総数が1,900万人程度になっているということです。

 

 ネットで検索する限り、2012年の患者数が462万人という数値だけで、後は何れも予測数しか出て来ないので何とも言えませんが、ニッセイ基礎研究所の予測でも2030年には1,390万人とあるように、未だ発表されない認知症患者数は急激に伸びているのは間違いなさそうです。

 

 何度も書いているように、認知症が怖いのは不治の病だからです。平均で7年で亡くなるわけで、認知症が増えるという事は死亡者数が大きく増えることを意味します。

 

 それは当然、人口の減少の急激な進行を意味するわけで、人口が減れば当然市場も減り経済も衰退していくことになる。ガソリン消費量が急激に減ることで、当然、車も売れなくなることは誰もが直ぐに分かることでしょう。

 

 ただ、今日マイホームを持つ人が急激に減っている中で、日本経済をけん引してきた自動車産業が凋落することは日本経済が終わるという事であり、経済で維持して来た日本という国家の終わりを意味するのです。

 

 個人的にはもう少し先かもと思っていたのですが、こうしたデータを見ると、予想外に早く訪れることになる可能性は高いと思いました。

 

 何事もそうですが、備えあれば患いなしなので、こうした国家凋落を危機と捉えるのではなく、新たな世界の始まりと捉えて準備をしておくことをお勧めします。