Qouraでの回答を転載します。何かのお役に立てれば幸いです。

 

 今はオンラインでいくらでも学べるんだから、大学なんて行く必要がないんだ、と言う人がいるのですが、その理屈ならば大学どころか高校も行く必要が無いのではと思いますが、違いますか?

 

 合っていると思います。そもそもオンラインで知識や情報が常に調べられるのであれば学ぶ必要はない。知識や情報を覚えておく必要は無いのです。

 

 そんな暇があるなら、自分という人間はどういう人間なのか?自分は一体何のために生まれて来たのか?一体何がやりたいのか?といった自分という人間の研究をすべきです。


 だって、自分という人間を知らないと自分の人生を生きることは出来ないし、それが出来なければ、生きていても楽しくも何ともないからです。

 

 知識や情報はそれが分かってからでないと何の意味も価値もないのです。もちろん、そんな知識や情報は無くても楽しく生きることは問題なく出来るのです。


 早くその事に気づかないと人生を棒に振ってしまう事になる。そして、人生の最期に「何でこうなったんだ!」という後悔をすることになるのです。

 

 人は皆違うのです。だから、学んではいけない。自分で考えて行動しないと、自分という人間の人生を生きることは出来ないのです。
 

 今回の兵庫県斎藤知事の騒動は、改革断行に依るものだという事が明確になって来ていると思います。結局は、相も変わらず、改革派と保守派の争いという事です。

 

 で、何を改革しているかと言えば財政再建に他ならないのです。最近では国家の財政赤字拡大への批判が見受けられなくなりましたが、それ以上に深刻なのが地方自治体ではないかと思います。

 

 地方財政の要となる住民税は人口減少に依り減るばかりであり、それに対して介護や社会福祉などは景気低迷を反映して増え続けていることでしょう。

 

 後10年もすれば財政再建団体になる地方都市は沢山あると思います。それを回避するには、不要な支出を思い切ってカットしていくしかないのです。

 

 それによって恩恵を受けていた人たちからの反発は大きいわけです、特に地方として於いては凄まじいものとなるでしょう。改革派の知事を議員全員で不信任を出すほどに強烈なのです。

 

 これを見ている他の自治体も明日は我が身であることを察しているのではないかと思いますが、そういう自治体には斎藤知事の様な英断を振るえる力のある首長が居ないのです。

 

 でも、居ないから良いのではない。そういう人が居なければもっと悲惨な未来になるという事です。そして、何より、そういうキチンとした首長が居ないことで困るのは地域住民となる。

 

 ある意味、そういう首長を輩出できないという地方の民力の低さから来るものではないかと思います。何も知らないのは住民ばかりという事です。

 

 ご承知のように財政再建団体になると、地域サービスは停滞するし、地元住民はとても困ることになるでしょう。そういう未来が見えないのが地方都市の住民であり、何も考えてない住民たちという事です。

 

 中には兵庫県のニュースを見て、ああならなくて良かったと思う他県の住民も少なくないと思いますが、それは大間違いであり、実態は想像以上に酷い未来が待っていることを知るべきだと思います。

 

 人口減少社会と同時に経済衰退社会という私たち人間がこれまでに経験したことのない時代がこれから来るのです。それは何度も書いているように、人口増加と高度経済成長が起こった時代の反対の事であり、それと反対のことが起こるという事を意味するのです。

 

 毎年収入が減り、生活の質が下がり、これまでに得たモノを失っていく時代。仕事を失い、車を失い、家を失い、そして、家族を失う。

 

 それらを失って呆然とした中で、私たちは最期に、脳の退化に伴い記憶を失うのです。そして、全ては無かったかのように消えてしまう事でしょう。

 

 この目を覆いたくなる酷い未来から逃れる方法は一つです。

 

 それは失う前に捨てるということ。これまでに築いたモノを失う前に自ら捨てることが出来れば、新たに得られるモノを手にすることが出来るでしょう。

 

 失われるモノを守ろうとしがみ付けば、それと共に全てを失って終わることになる。大事なのは自ら考えて行動するという人間本来の能力を使う事です。

 

 時代の流れに乗って漂っていては人間に未来はありません。そういうのは人間ではないのです。環境に支配されるのが人間ではなく、自ら環境を作れるのが人間であることと忘れてはいけないです。

 

 

 ざっと振り返って、このタイトルの投稿がないのに今頃気付いた次第です。数々の投稿の中には必ず入ってる言葉でありながら、それ自体を書くことを忘れてました。

 

 ということで、今日はこの事について書いておこうと思います。

 

 この「自分で考えて行動する」というのは言葉にすれば簡単なモノですが、これを実現するのは人間だけだという恐ろしい真実がそこにあるのです。

 

 それは言葉をキチンと理解することで分かります。考えるとは想像することだからです。想像は人間にしか出来ません。何故、人間だけが想像出来るのか?

 

 それは、きっと人間だけが、今はない明日という未来が来ることを知っているからだと思います。何故、それに気づいたのかと言えば、自分たちを取り巻く環境の変化に感銘したからではないかと思います。

 

 つまり、感銘する心を持っていた。そういう心の変化が時の流れを人間に教え、そこから、過去現在未来という時の流れを知り、今はない明日という未来が来ることを知ったのではないかと。

 

 そして、その今はない未来に向かって進むことが生きることだと知ったのだと思います。生きるとは前に進むこと。今はない未来に進むためには、その今はない未来を想像するしかないのです。

 

 想像という自由で無限な力を持つことで、今はない未来という世界に自由と無限をもたらせたのではないかと思います。自由とか無限という世界は、過去と違ってある意味現しようのない世界です。

 

 それを想像という行為で実現することに成功した。これは地球という星で誕生した光合成という化学反応以上の革命的な奇跡ではないかと思います。

 

 人間という特殊な生き物を、この自然界で生かすために得た神をも凌ぐ力であったと驚くばかりです。何かの変異で、人間という生き物としては最も生き残れない生き物を生物界の王者にまで上り詰めさせた力の誕生だったと思います。

 

 人間の思いをすべて実現させる想像力・・・・これを全ての人間は持っているのです。だから、その力を如何に鍛えるかで、その人の人生は決まるという事になるのです。

 

 想像力を持つことで、人間にだけ与えられた自由と無限の世界を堪能できるとても素晴らしい生き物が人間だという事です。

 

 しかし、その素晴らしい力で作った席に魅了された人間は、何故か、それを築いた想像力を伸ばすのではなく、自分たちが作ったモノから学び始めるのです。

 

 それは恐らく、文字を発明したことで、過去をキチンと記録できることから、それを真似ることが出来るようになったから始まったのではないかと思います。

 

 文字という確かな形で残せるものが確かなモノ。想像などいう今はない不確かなモノを追うより、確かなモノを追う方が確かな人生を得られると勘違いしたのだと思います。

 

 そして、それを文字を使って他人に強要することで、他人と同じように力を合わせて巨大な文明という砂上の楼閣を築いてしまったのが人間だと思います。

 

 人は皆違う・・・・という人間の原理原則を無視して、人間はみんな一緒だと他人を騙して他人のモノを奪い始めた。しかし、ソレは決して楽しい事ではなかったと思います。

 

 そこから人間は成長しなくなり劣化退化という生きる道ではなく死に向かって後ろに戻り始めたという事になる。学ぶという過去を見る行為に嵌り過去を追いかけだしたのです。

 

 過去の栄光、過去の恨み、過去の悲しみに支配され、過去の縛られ、過去の鬱憤を晴らすことに人生を使い始めたのです。

 

 この世界は過去を現す言葉で溢れています。だから、気を付けないと直ぐに過去に縛られるのです。その結果、人間は生きるのではなく死んでいる。

 

 前に進まない、変化や進化をしないので、今はない明日という未来は見えなくなってしまったのです。そして、過去で作られる言葉に支配され騙されて生きている。

 

 多くの人間が騙されていのは、何と言っても「豊かになれば幸せになれる」という言葉ではないかと思います。

 

 しかし、残念ながら、この言葉は嘘なのです。何故なら、幸せを感じるのは心であり、豊かさを認識するのは脳だから。この言葉にすれば誰もが分かることを誰も知らないのです。

 

 そして「豊かになれば幸せになれる」という現実ではあり得ないことが存在するかのように思い込んでしまうのです。これが言葉の持つ嘘に支配され人生を棒に振る最大の原因となります。

 

 言葉は簡単に嘘がつけるのです。もちろん、そういう風に見えたからという表面的な何となくの思い込みから始まっているのです。

 

 それを正せるのは自分で考えて行動するからなのです。考えるとは想像することですが、何を想像するかと言えば、想像することでしか見えないモノを想像することになります。

 

 それは、表ではなくて裏を想像すること。そこには常に何故という疑問が付きまとうのではないかと思います。目に見えないモノというのは、そこに流れる理を知るという事です。

 

 それは自然なことであり手を掛けなければそうなることです

 

 幸せとは心が発する感情であり、脳には全く意味のないモノということです。逆に、脳が大切にするのは満足という目に見える価値です。

 そして、満足という価値は心にとっては何の価値もありません。だから、どんなに満足を得たとしても、幸せにはなれないし、満足が得られなければ、不満という憤りに脳が苛まれるのです。

 

 その状況を何故か、幸せの反対語として不幸という言葉で表現しているようです。しかし、心というのは頭と違って目には見えない世界に居るので、幸せを感じるか感じないかしかなく、幸せを感じないことを不幸だという認識はありません。

 

 しかし、ソレを不幸だと認識する脳に依って、自分を不安にされ気を病むことになる。要は脳に支配されることで心が等閑にされているだけなのです。

 

 脳に支配されるという事は過去の支配されるという事。心に支配されるという事は未来に支配されるという事。心が何かを感じて、それに対処するために脳を使う。

 

 これが人間を人間らしく動かす為に必要なことなのです。自分で考えて行動する。これが出来るのが人間であり、人間の凄さであり、人間として生きる為に忘れてはいけないことなのです。

 

 だから、その人間としての力を削ぐ学びに対しては毅然として拒否を宣言すべきなのです。そして、自分という人間を動かす自分自身という人間を確立しないといけないのです。

 

 そうすることで私たち人間だけが持つ自由で無限な世界を楽しんで生きるという人間の生き方が出来るのです。

 

 人は皆違う・・・・だからこそ、全ての人に生きる意味と価値がある。それを持つ人間はそれを大事にしないといけないと思います。

 

 他人と違う限り自分の存在意義と価値が得られる。だから、間違っても学んで他人と同じならない様にしましょう。