失速アマゾンが「やばくなった」本当の理由、中国の業者を必死で口説いている背景(ビジネス+IT)

 

 

  もう 、そろそろこの世が諸行無常であることに気づかないとネ~

 

 盛者必衰・・・・勝者が勝ち続けることは無いのです。そんなことは歴史を見れば誰だって知っているハズなのに。

 

 何故、その事を理解できないのか?それは、自分で考えないからに他ならないのです。学校で強要される学びの習慣が、言葉を覚えるだけの人間にさせているのです。

 

 それは今話題のAIと同じこと。

 

 AIを優れた人工知能だと思っている人は多いですが、驚くことにAIは言葉の意味を知らないのです。言葉の羅列を覚えているだけ。そして、その覚えた羅列を再現しているだけなのです。

 

 それは最高峰の騙しと言えるでしょう。その言葉に騙される人間が増えているのは確かだと思います。それだけ、言葉の意味を知らない人間が増えているということ。

 

 そういう人間とコミュニケーションを取るのは難しいです。

 

 そういう人間にはご主人様が居て、その人からの学びで構成されるAI人間となっているので、その人間のご主人様を見つけると、話も通じるようになります。

 

 そういう人間の特徴は、心がないことです。好きとか嫌いという人間本来の感情ではなく、優劣、正誤、満足といった脳が認識する価値観に支配されている人です。

 

 話が逸れましたが、この世は諸行無常なのです。盛者必衰はこの世の常。だから、盛者に頼るのはとても危険なのです。そもそも他社を頼るより自分で考えて行動しましょう。

 

 それが人間という生き物なのですから・・・・

【独自】斎藤知事の不信任案、19日提出・採決で調整 自民が各会派に呼びかけ 9月定例会初日 兵庫県議会(神戸新聞NEXT) 

 

 

 全く気にしてなかったのですが、余りにも酷いので、この件に関する見解を書いておきます。

 

 内部告発と誹謗中傷は違うのです。告発するからには告発する者にも大きな責任が伴います。その覚悟を持てるから告発するわけで、命に危険が及ばなければ、告発と同時に表に出るべきです。

 

 それをしないのは、誹謗中傷と同じこと。それに対して世間が大騒ぎするのもおかしいし、当然、それを煽るマスコミは論外と言えるでしょう。

 

 パワハラというのは、業務の於いては日常茶飯事であり、部下に仕事をさせるには部下にあったパワハラが必要だと思います。まあ、部下に合うことでそれは単なるパワーにしかなりませんがね。

 

 人は皆違うので、どういうパワーを掛けるとその人のパフォーマンスが上がるのかを見極めるのはとても難しいです。多くの親が我が子のパフォーマンス上げれない現状がそれを示しているでしょう。

 

 そもそも、人間は自分で考えて行動する生き物なので、本当は放って置いても自らパフォーマンスを上げることが出来るのです。しかし、学校教育で学びを強要するから、それが出来なくなることで、誰かにパワーを掛けられないとダメになっている。

 

 要は、諸悪の根源は学校にあるという事です。そして、この問題の奥底には、その学校教育の最高峰たる東大への批判が隠れているのかもしれません。

 

 大抵の人は東大生がバカなのは知っていると思います。しかし、この学歴社会に於いて、その最高峰にある東大の権威には逆らえないのです。

 

 だから、東大卒業生へのバッシングは強烈になる。実にあさましいと思いますが。それくらいしか出来ないという事です。

 

 ふと、思うのは、今内部告発者がどういう心境にあるかという事です。斎藤知事に恨みを抱いて潰したいと思っていればほくそ笑んでいるかもしれませんが。

 

 単に、お灸を据えたいだけであれば、大事になってしまったことに後悔しているかもしれません。内部告発者を探し、内部告発の真意を知り、その状況をキチンと精査する。

 

 そして、それがパワハラだと認められれば、知事の処分をする。もちろん、解任ではなく減給とか謹慎という処分です。知事も人間ですから間違えることもある。

 

 如何なる立場にある人も、その事を自覚することが大事なのです。人間は自分が正しいと思う事しか出来ません。しかし、人は皆違うので、それが他人に対して正しいとは限らないということを知ることが人間として絶対に忘れてはいけないことなのです。

 

 だから、人間同士のコミュニケーションは大事なのです。自分の思いを伝え、それがキチンと相手に伝わっているのか?特に近い人には最大限の注意をしなければいけません。

 

 それを怠ると人生は狂います。自分が思った方向へは進まなくなる。もし、今そういう状況であれば、その原因は、他人とのコミュニケーションが不足しているという事です。

 

 自分の思い込みに支配されないように注意しましょう。それが自分を守ることになりますから・・・・

 

 愚かになった人間にどういう言葉を掛けても変えることは出来ないと思いますが、それでも言葉を掛けるしかないので、掛け続けて行こうと思います。

 

 Qouraでの質問

 

「生きること」と「死ぬこと」ならどちらの方が辛いと思いますか?

 

 圧倒的に死ぬことだと思います。何故なら、死んだら何も出来ないから。何も変えられないからです。


 死にたいと思う人の殆どは、現状が辛く苦しい人だと思います。しかし、そこで死を選ぶと、その状況はFIXされてしまうのです。人間の記憶が死んだらどうなるのか分かりませんが、その辛さと苦しさでFIXされるという事は、死んだ後まで辛く苦しい状況を背負わされるという事になるのではないでしょうか?


 しかし、生きる限り、それを解消する行動が取れるのです。生きていれば、何かが変わるので、放って置いても解消されることだってあるでしょう。新しい人に出会う、新しいものに出会う、常に明日は新しいことが盛りだくさんなのです。


 それは、自分に新しい世界をもたらすのです。今はまだ見ぬ未知なる世界が、私たち全ての人間には用意されているわけです。未知なるものは今はないので目には見えない世界となります。その状況を辛く感じる人が増えているのが最大の原因だと思います。


 それは人間本来の状況ではありません。学校教育で強要される学びに依って引き起こされる異常事態なのです。


 学びとは過去を知ることなので、人間を過去に縛り付けるのです。それによって、人間だけが出来る自分で考えて行動するという特殊な能力を失われることで、未知なる未来が見えなくなり辛く苦しい現在に閉じ込められる結果を招くのです。


 未知なる未来にあるのは自由と無限な世界です。

 

 それとは対照的に、過去にあるのは不自由と有限な世界となります。過去ですから変えられないのでそうなるのです。そして、未知なる未来を過去と重ねることで、変えられない未来という幻想を抱いてしまうのです。


 実におかしな現象ですが、脳が一度そう認識してしまうとそれは真実となるのです。


 人間の思い込みは実に強力だという事です。しかし、今はない未来にあるのは自由と無限が正しいのです。無い世界というのはある世界と違って凄いのです。それをどう自分が作るかで決まるという事です。


 これもまた学んだ人間には理解できない世界です。学ぶ人間は、全てを与えられるので、自分で作るという発想が持てないのです。でも、人間は何でも作れる凄い生き物なのです。それは、人間世界を見れば誰だって分かると思います。


 服や食べ物に家に車に飛行機、そして、家電製品に、ネットにスマホにSNSにと、人間世界は人間が作ったモノで溢れているわけです。この人間の何でも作れる凄さを実感できれば、自分たちが何でも作れることに気づかないのはある意味バカなのです。


 まあ、こういうバカになるのは学ぶからなのです。従って、学びを止めれば人間は賢くなれるのです。自分で考えて行動することで、自分の人生を自分の思うように作っていける。これこそが人間の力であり凄いところなのです。それは全ての人間に与えられた神を凌ぐ力だと言えるでしょう。


 それは自分の人生を生きる為に使うべき力であり、それを他人を支配するために使ったことから人間は狂ったのかもしれません。そして、このまま行けば、人間は自滅することになるでしょう。使い方を間違えば反対の世界になる。その間違いにはなく気づかないと人間は滅びることになるのです。


 人間が死を選択するという行為そのものがそれを示しているのです。生き物で自死を図るのは人間だけ。もはやそれは生き物とは言えるレベルではないのです。畜生以下のレベルにまで落ちたという事です。洋服を着ているからそう見えないだけのことです。

 

 死ななくても自分の中で過去を抹消し、学びを止めれば全ては自由になります。仕事を辞める、学校を止める、誰も知らないところでリスタートするなど、やれることは沢山あるでしょう。

 

 大抵の人は、自分の命は自分のモノだからって思っていることでしょう。しかし、仮に今はそうでも、未知なる未来には、何の価値もないと思う自分を待っている人が居るのです。

 

 それは人が皆違うという人間の原理原則があるからです。だから、先ずは、自分という人間が世界に一人しか居ないとても貴重で稀有な存在であることを自覚しましょう。

 

 みんな一緒という学校で教えられた嘘を知ることです。世界に一人しか居ない自分だから、それを待っている世界に一人しか居ない誰かが存在するのです。

 

 とても凄い事だと思います。それを知るためには、せめて60年は生きてください。とても長く感じられるかもしれませんが、過ぎてしまえばあっという間です。

 

 そして、その中で色んな奇跡の出会いを通して、生きていることに喜びを感じる人間になって欲しいと思います。人間生まれて来て良かったと思える人生にして欲しいと思います。

 

 まあ、それほど人間という生き物は凄いのですから、そう思えないのはおかしいのです。