とうことで、早速、対処法について書いていこうと思います。

 

 自分という人間は、当然ながら、世界に一人しか居ません。それは、人類史上に於いても一人という事です。それだけ、全ての人間は奇跡という言葉では語れない稀有なる存在なのです。

 

 その自分という人間を人間として生かすために欠かせないのは、その自分を支配する自分を持つことです。自分という人間を知り尽くせる自分という存在を作ってこそ、自分という人間の最高のパフォーマンスを実現できるという事です。

 

 だから、それは誰も出出来るとても簡単なことなのです。

 

 しかし、現実的にはそれは許されない。大抵は、学校へ行き学ばされるのです。他人のいう事を聞け、故人のいう事が正からなのでしょうか?

 

 因みに、私たち人間に、正しいも間違いもありません。善も悪もありません。私たち人間にあるのは、自分が幸せになるために生きるという事だけです。

 

 その為には、自分の幸せを見つけることが大事になります。他人の幸せは自分にとって何の意味も価値もないのです。何故なら、人は皆違うからです。

 

 この人は皆違う・・・・・という原理原則を先ずは徹底することです。そうしないと全ては始まらないから。誰かと同じなら、自分が生きる意味も価値も無くなるのです。

 

 他人と同じように生きれば幸せになれるという小学生レベルの安直なお粗末な考えを捨てましょう。それこそが自分を殺し、自分という人間の価値を捨て去るモノです。

 

 自分から自分の人生と価値を捨ててどうするのですか?それは自ら生きるのを止めることになるだけなのです。こう思う人が多いのは、全て学校教育に依って学びを強要されたことが原因です。

 

 ということで、先ずやめるべきは学校から逃げる。学ぶことを止める。学んだ知識や情報を捨てるという行動です。

 

 これまで、それをやって来た人にとってはとても怖いことかもしれません。しかし、その行動が自分を殺していることを知れば、挑戦できるのではないでしょうか?

 

 特に生きるのが辛くて死にたいくらいに思う人であれば尚の事。

 

 本当に死ななくても、過去を全部捨てれば、人生は何度でもリセットできるのです。もちろん、その場にいても出来る、仕事を変える、仕事を辞める、学校を止めるとか、誰も知らないところに引っ越すなど、様々な行動があると思います。

 

 そんなことをしたら人生滅茶苦茶になるじゃないか?

 

 というお叱りが聞こえてくるのですが、辛くて死にたいという状況自体が、人生滅茶苦茶だから起こっていることに気づくべきではないかと思います。

 

 何で、滅茶苦茶になったかと言えば、学んで、他人を真似て生きて来たからという事なのです。自分という人間を支配する自分を捨てたことで、他人に支配される奴隷のように生きて来たから人生が滅茶苦茶になったという事です。

 

 まあ、それで体面だけは保てる人もいますが、中身は滅茶苦茶で何時壊れてもおかしくない状況に変わりはないと思います。

 

 生きているのが辛い、苦しい、寂しい、つまらない・・・・等々、これらは全て、自分という人間の人生を生きてないから起こることだという事です。

 

 だから、それを取り戻すしか方法は無いのです。その為の最も有効で確実なことが学びを止める、学んだ知識と情報を捨てるという事になるのです。

 

 だって、それらが自分という人間を支配しているから。自分という人間を支配している学びを消さないと、本当の自分を知る自分という人間を取り戻すことは出来ないのです。

 

 しかし、ソレは一方でこれまでに得たモノを全て失うという事にもなります。仕事や地位や財産や名誉や時には、友だち家族まで。

 

 本当の自分を取り戻して失われるモノは、本当の自分に必要のないモノという事なのです。そこに本当の自分の価値と意味があるということを教えてくれるはずです。

 

 本当の自分を取り戻し本当の人生を得ると、その時点で幸せが漂って来ます。生きるのが楽しくて仕方なくなるでしょう。きっと、自分がどんなにバカで愚かだったかを嫌というほど思うはずです。

 

 そして、何より人間として生まれたことに喜びと感謝が生まれることになると思います。人間という生き物が如何に凄い生き物なのかを知るからです。

 

 それは、最初にも書いた通り、誰もが簡単に出来ることなのです。大事なのは、人間として、自分で考えて行動するという能力を使うだけだから。

 

 これは人間にだけしか出来ないことなのです。私たち人間だけが、今はない明日という未来が来ること知っているのです。そして、その今はない明日という未来に向かって進むことを生きると呼んでいます。

 

 今はない未来は考えないと手に入りません。だからこそ、人間にだけ考える力があるのです。考えるとは想像することであり、想像は自由で無限なのです。

 

 そして、今ない未来にあるのも自由で無限な世界なのです。この同じ世界観が私たち人間だけの知る世界となります。これは、神をも凌ぐ力であり打ち出の小槌と言える夢の力です。

 

 この何でも出来る自由こそが人間が楽しく生きれる理由です。今はどんなに辛く苦しくても、何があろうとも、それらがなくなる未来があるから私たちは笑って生きていける。

 

 その想像力は当然ながら無限であるので、無限に成長させることが出来るのです。それは死ぬまで成長し続ける。昨日出来なかったことが今日出来るように、その想像力を鍛えて行けば、世界は凄い事になるでしょう。

 

 こういう凄い未来を根底から壊しているのが学びという過去を知る行為です。こればっかりさせられること、人間は過去に縛られる自由を失い未来を失うのです。

 

 それは同じところをぐるぐる回るだけであり、前に進めなくなるので年々苦しくなるしかないのです。

 

 本来、自分で考えて行動するという自己成長という恐ろしい機能を持っている人間に学びを強要させることで、人間の脳を劣化させ退化させ続けるという人間を殺すことを学ばせるのです。

 

 生き物にあるのが進化と退化という原理原則です。それは生きるのに必要なモノが与えられるけど、不要になると奪われるという最も合理的な掟となります。

 

 そして、人間みたいに貧弱で半端な生き物が生きれるために得た巨大な脳は、その力を使わなくなることで消失し始めているのです。

 

 それをバカな医者は認知症と呼んでいます。しかし、認知症は病気ではなく退化なので治りません。学びという人間を殺す毒によって脳が退化することで起こっているから。

 

 世界中から学びを消さないと認知症という現象は止まらないでしょう。そして、これが我々人類の滅亡を引き起こすと思います。

 

 もう既に多くを学んだ我々は、認知症から逃れられないと思います。しかし、まだ学びをする前の子どもたちから学びを消せば、彼らの脳の退化を抑止できるかもしれません。

 

 でも、それに気づく人が居なければ、私たち人間は後100年程度で滅亡する可能性が高いと思います。

 

 それを防ぐためにも、多くの人が学びを捨て学んだ知識や情報の支配から逃れ、世界に一人しか居ない人間として生きることを選択し、楽しい人生と人間として生まれた喜びに包まれてもらいたいと思う次第です。

 

 人類の未来は今の私たちに掛かっていることお忘れなきよう!

 

 

 

 最近は、Qouraでの投稿にもこのフレーズを多用しています。そういう流行り歌を聞いたもので^^;

 

 歌は世につれ世は歌につれ・・・・と申しますが、時代を繁栄する歌がヒットする傾向にあるのは間違いないでしょう。

 

 最近では「うっせーわ!」という歌を孫から聞いた時に噴出したのを覚えています(笑)

 

 最も印象的な歌はと言えば、ナンバーワンではなくオンリーワンというフレーズを世にもたらした歌です。正直、この歌のヒットで日本人は変わるな!って少し安心した感がありましたが・・・・

 

 時代は更にナンバーワンへと向かった気がして残念です。ナンバーワンでないと生き残れない資本主義と学校教育のせいだとは思いますが、それに抗えない人間の愚かさであるとも思います。

 

 気づけば、あれから20年以上が経っているみたいで時の流れの速さを思い知らされるとことです。そして、人間という生き物が生き物としての価値を失って来た20年ではないかと思います。

 

 今や、生きるとは?何のために生きるのか?ということを考える人は殆ど居ないでしょう。日々の生活に追われ、他人に振り回され、環境に振り回され、誰の為の人生だーーーって思う人さえ少ないかもしれません。

 

 その答えは、もちろん、自分の為の人生です。しかし、学校教育に依る学びの強要で、現代人はその自分という存在を消されているのです。

 

 何故、自分という人間の人生を生きるのに学ばなければいけないのか?という疑問を持つ人は居ないでしょう。

 

 学ぶとは真似ることだということを知らないからそうなる。誰かを真似ることで自分という人間の人生を捨てているのに誰も気づかないのです。

 

 それは、きっと、学ぶモノが理想とするモノだからなのでしょう。

 

 そういう人間になりたいという思いが選択を誤らせるのです。

 

 何故なら、それは他人の人生だから。その人生は、その人だけのモノであり、それがその人にとってどういう意味を持つのかはその人しか分からないからです。

 

 それを傍目で見て勝手に判断してしまうという大きな間違いを犯しているという事に誰も気づかないのです。その結果、自分という人間の本当に得るべき人生を捨ててしまう。

 

 常に、周りを気にして他人に支配され環境に支配され、他人と比べて自分にないモノにしか見えなくなり、自分の為の人生からは考えられない全く嘘の人生を歩かされることになるのです。

 

 それは、とても辛く苦しい人生です。だって、サイズやデザインの合わない服を着て快適に過ごせることは無いでしょう。でも、それは素敵に見えるのです。

 

 そうやって見た目だけを追いかけて中身のない人間となる。改めて言うまでもなく、人間の価値は中身にあります。自分の考えや感情や性格など、目に見えない中身こそが人間の価値なのです。

 

 着ている服をセンスがいいねって褒められるのは嬉しいかもしれませんが、それしか褒められなければ悲しいハズです。でも、その気持ちは他人には分からない。

 

 これが、他人の人生を誤解する要因となるわけです。他人を真似るという事は見た目を真似るだけであり、目に見えない中身を真似ることは出来ないから真実には辿り着けないという事です。

 

 そうやって、幾つになっても真実を得られない人生ほど儚く価値のないモノはありません。しかし、その儚さや価値のない虚無感の正体を知ることは出来ません。

 

 何故なら、それらは自分で考えないと分からないから。でも、学校ではそれを教えてくれないので、学び続けるしかないのです。誰かを真似続けるしかないのです。

 

 そういう人たちには「誰の為の人生だーーー!」という言葉さえ何の意味もないかもしれません。オンリーワンには共鳴した人たちも、この言葉に共鳴する可能性は低いかもしれません。

 

 それでも、もし、この言葉に何かを感じる人がいたら、次のブログで対処法を紹介しますので、宜しければ読んでみてください。

 

宅配便ヤマトが逆張り値下げ「荷物争奪戦」が過熱、「2024年問題」に直面するタイミングでなぜ?(東洋経済オンライン) 

 

 

 何で逆張りなんでしょうね。そもそも、何故、以前ヤマトは値上げしたんじゃなかったでしたっけ?物流量が減る中で値上げするという逆張りに出たんです。

 

 そうしないと総売上高を保てないから。コロナ以降、自動車、建設、電気という日本の主要メーカーがカルテルでも結んだかのように一世値上げをしてきたのと同じように。

 

 それまでは、それぞれが価格競争で市場獲得を狙っていたのとは対照的に。何故、それを止めたかと言えば、価格競争をしても総販売量が増えないからです。

 

 要は市場収縮に依る経済衰退が始まったからという事です。

 

 そうなると、前年売り上げを上回るには価格を上げるしか手はない。新商品の開発ではもう売り上げは上がらないのです。

 

 しかし、販売数量が更に減れば、価格を上げても追いつかなくなる。そして、今度はカルテルを破って値段を下げて販売数を増やす作戦に打って出たというのがヤマト運輸なのです。

 

 カルテルで値上げして安心していた競争を相手を欺く作戦となります。とは言え、それをやられた競争相手が報復するのは時間の問題でしょう。

 

 そして、それぞれに企業が元の木阿弥と化した過酷な販売競争を始めることになるのです。自分たちの会社が生き残るためには他社が潰れるのが一番という事です。

 

 他社が持つ市場を如何に奪うかが、これからの生き残りを決めることになるでしょう。市場がどんどん収縮していくので、それをカバーし、それを上回る収益を確保するのは至難の業。

 

 企業はなりふり構わず、ありとあらゆる手段を講じて来る、正に戦争状態に突入すると思います。

 

 これから、この熾烈な争いが経済界で始まるのです。その煽りを受けた従業員たちが無傷で済むことは無いでしょう。リストラに様々な精神的抑圧が人間を殺しかねないと思います。

 

 危ないと思ったら企業から逃げることです。大事なのは命ですから当然のことだと思いますが。企業の中で生きて来た人間にそれが出来るかどうか?

 

 出来なければ、人口減少が恐ろしいスピードで進み、更なる急激な市場収縮が起こる悲劇を迎えると思います。

 

 大事なのは、過去を捨てる勇気です。そこにどんなに良い思いがあっても、どんなに掛け替えのない時間があっても、それを守ろうとすると未来が失われることを忘れてはいけません。

 

 私たちに大事なのは常に未来なのですから。どんなに凄い過去の栄光があろうとも、そんなものは未来ではゴミでしかない。未来にはもっと凄い世界がある事を知っておく必要があると思います。