最近はQouraでの回答から、このブログを見る方も少し出て生きているので、改めて学ぶことのリスクについて書いておこうと思います。

 

 このブログは、「学校で勉強するからバカになる」を書くことで始まったと記憶しています。学校教育を指揮する国家によってそれはなされるので、最終的には国家を無くすことまで視野に入れているのは既に書いている通りです。

 

 学ぶ人にはこの理屈は理解出来ないかもしれません。

 

 ただ、学びによって人生を棒に振る人はとても多いわけで、それに築くのは悲しいかな人生の終わりになるという現実があると思います。

 

 人は死に向かって生きていきます。従って、全ての答えは死によって与えられると言えるでしょう。そして、誰もが一度しか経験できない死は怖いものです。

 

 その怖さから逃れるために生きていると言っても過言ではないかもしれません。前にも書いたと思いますが、その死の恐怖から人間を救う唯一の方法は「幸せ」なのです。

 

 だから、人間は誰もが幸せになりたいと願うのです。しかし、幸せが何かを知らない人間は騙されることになる。幸せが何かを知らない人間は知っている人間に聞こうとするのです。

 

 例えば、現代人が最も信じているのは、豊かになれば幸せになれるという迷信ではないかと思います。果たして、豊かな人間が本当に幸せなのでしょうか?

 

 それを検証している人は少ないでしょう。ある意味、豊かな人が幸せでない筈はないという思い込みでそれを目指していると思います。

 

 でも、それを目指す中でどんどん不幸になっているのが現実ではないかと思います。もしかしたら、幸せを目指すのが苦痛でしかないと思う人も多いのではないでしょうか?

 

 苦痛の先に幸せはありません。だって、苦痛のない世界にしか幸せは無いからです。本当は、それを苦痛が教えているのですが、一度思い込んでしまったことを自ら覆せないのが人間なのです。

 

 話が逸れましたが、その思い込みを人間に授けるのが学びという事です。幸せを知っているのは自分の中にいる本当の自分だけなのです。

 

 だから、学んだ先に幸せはない。他人を真似ても幸せにはなれないという当たり前のことがあるだけなのです。でも、誰もが幸せを知らない以上、知っていると思う人を信じるしかないとなるのでしょう。

 

 学びという知識や情報を鵜呑みにする危険性は常に書いているのですが、学びの本当の恐さを改めて追記しておこうと思います。

 

 それは盗人になるという事です。知識や情報を学ぶというのは、他人が作った知識や情報を盗むという事です。基本的には聖書に於いても他人のモノを盗んではいけないと書いてたと思います。

 

 現行法に於いても盗みは罪になる。しかし、知識や情報を盗むことは学校教育で正々堂々と何ら悪びれることもなく行われるのです。

 

 盗みを学びという言葉に置き換えるだけで・・・・

 

 つまり、学びを強要する学校教育で我々は盗人になっているという事になります。学びによって本当の自分を奪われた人間は、それを埋めるために他人のモノを奪う盗人になるという事です。

 

 誰もが好きなお金もそうです。誰からも恵んでもらえないお金を得るためには持っている誰かから奪うしかないのです。まあ、この事は再三再四書いているので割愛しますが。

 

 そうやって盗人だらけの世界だから貧富の差が拡大するのです。もちろん、最終的には全員が貧しくなるのは自明だと思いますが。

 

 他人のモノを盗んでも自分という人間の成長はありません。これが盗むことの最大のリスクという事になるでしょう。

 

 成長しない人間は何時まで経っても大人にはなれない。大人になれない人間は段々と辛くなるのです。全てを盗んだ人間には何一つ自分のモノは無いから、何も自分で出来ないからそうなるのです。

 

 今や人間は何でも出来るお金という魔法の杖を持っている。

 

 でも、それは言い換えれば、お金がなければ何も出来ないバカな人間であるという証拠にもなるのです。そして、そのお金を得るために他人のモノを盗み続ける。

 

 その盗む行為が止まらないのは、言い換えれば何も満たされないからという事になるのですが、学ぶ人間にはそんなことを理解することは出来ないのです。

 

 そして、盗みを繰り返して誤魔化している間には気づかなくても、盗みを終えると、自分には何もない事を気づく日が来るのです。

 

 それに気づくのが人生の終盤となり、全ては後の祭りとなるのです。つまり、ハッピーエンドは無いという事です。そこに待っているのは死の恐怖しかないと思います。

 

 本当であれば、晩年には生きることが楽しくてしたかないという幸せな日々が待っているのに。全ては学ぶことで自分という人間を奪われてしまったことに依る悲劇という事です。

 

 豊かさの中に幸せはありません。豊かになれば幸せになれるとは大嘘です。幸せは自分の心の中にあるのであり、自分にしか分からないモノです。

 

 だから、他人のモノを盗んではいけない。それで誤魔化してはいけないのです。学ぶことを止め、学んだ知識や情報という他人のモノを自分から排除することで、本当の自分を取り戻さないとダメなのです。

 

 だから、本来は全ての人間が幸せになれるようになっている。学ばなければ、盗まなければ、誰もが人生を間違えることは無いのです。

 

 人間というとても高度な存在を信じることです。その人間に生まれた自分を信じることです。そうすれば常に道は開ける。人間には誰もが自分で考えて行動する力を持っているから。

 

 これは、そうすることで幸せになった先人のアドバイスなのです。


 

焦点は日銀の追加利上げや米景気 4~6月期決算ピーク、純利益は過去最高ペース(産経新聞)

 

 

 全体の7割程度に絞っているかが疑問ではある。単に輸出で成り立っている企業に絞って円安を背景にした好調を謳っているだけに見えなくもない。

 

 コロナ以降の急激な円安で、輸出額は20%程度増えているのは確かであるが、円安は40%程度にもなっており、為替の恩恵は完全には活かされていない。

 

 つまり、円安がなければ、輸出額は大きく減少していた。そもそも、コロナ前はデフレ地獄で窮地に追いやられていたわけで、その状況は密かに進行し続けているという事だと思う。

 

 そして、内需依存の役3割の企業は、年々業績が悪化していることでしょう。恐らく、雇用者数で言えば、割合は逆転しているかもしれない。

 

 都合の悪いことは伏せて、都合の良いところだけを記事にするやり方は、かつての大本営体質と何ら変わっていないということ。

 

 それに踊らされて株を買わされる国民が何れ全財産を奪われることになるのは間違いないと思う。

 

 業績の焦点が、為替と米国景気動向に支配されている時点で、日本は先進国とは言い難いのかもしれない。かつての平成バブルは、超円高で実現していたことを見れば、それに気づかないことが不思議にしか思えない。

 

 自国通貨の価値が下がることを喜んでいるようでは、日本の未来は無いと思う。それにしても、米国がドル高をここまで容認することを不思議に思う人が少ないのも気になる。

 

 ただ、ドル高が続く限り、米国は幾らでもドルが刷れるという楽な国家運営が出来るのは確かだと思う。日本の場合は、どんなに円安になってもお構いなしに刷り続けることが出来るのは不思議ではある。

 


 

気象庁|南海トラフ地震に関連する情報 

 

 

 こんなものがあるとは知りませんでした。地震予知が出来ない中で一体何の意味があるのか分かりませんが。

 

 中身を見ると、発生確率が1%以下の確率で上昇したという事らしいです。バカになった人間は今では何でも確率で物事を考えてしまうわけですが。

 

 絶対に起こる地震発生確率は100%なのです。問題はそれが何時起こるか分からないということ。これは何かに似ていると思いませんか?

 

 そう、死です。生きている人間は確実に死にます。ですから、死ぬ確率は100%という事になります。問題はいつ死ぬかは分からない。

 

 それを平均余命だとの寿命だのという統計でまだ人生は続くと勝手に思い込んでいるのが人間という生き物なのです。

 

 そして、ある時、余命宣告を受けて愕然とするのです。そして、たくさんの後悔に苛まれることになる。それから慌てて終活をする人も居る事でしょう。

 

 余命宣告と言えば代表的なのはガンになると思いますが、今多くの人が知らない余命宣告が急激に増えているのです。それが認知症宣告です。

 

 余命は10年程度になると思いますが、その間に色んなモノを忘れていくので、ガンと違って自分として生きれる時間はその半分くらいになるかもしれません。

 

 話が逸れてスミマセン。

 

 地震発生確率という余命宣告をした後ですることは、自分の身を自分で守りましょうではないかと思います。そんなの当たり前のことですが、ある意味、誰もがそれをやっていないという事です。

 

 しかし、自分を守るという漠然とした言葉で本当に自分の身が守れるかと言えばそんなことはありません。だって、それまで殆どの人が自分を守っていないからです。

 

 大抵は、自分という人間を殺して生きてきている。

 

 自分という人間の本来あるべき存在価値を無視して、先生や上司の命令でお金の為に生きているのです。従って、自分を守るとはお金を守ることになると思います。

 

 でも、天災は、我々の命を奪う事はもちろん、我々から我々が最も大事にしているお金を奪うのです。そして、命を奪われずに済んだ者はお金を奪われたと呆然とすることになる。

 

 実に哀れとしか言えないのが現代人となります。人間だけが持つ生きる目的を持つことなく、只々お金の為に生きる奴隷。その姿を自信などの天災が露にするのですが、その自分の姿にさえ気づくことが出来ないという事です。

 

 お金を守ると命は守れません。

 

 言い換えれば、人間の命を宇あばっているのがお金だという事。自信を怖がるのではなくお金を怖がらないと人間は滅びることになるのです。

 

 何度悲惨な目に遭おうとも、何も考えず同じことを繰り返す。そして、それを復興と呼び喜んでいるバカさには言葉が出ません。

 

 同じ過ちを何度も繰り返すことを愚かと呼ぶのを忘れていることに早く気づいて欲しいと願うばかりです。