今回の兵庫県斎藤知事の騒動は、改革断行に依るものだという事が明確になって来ていると思います。結局は、相も変わらず、改革派と保守派の争いという事です。

 

 で、何を改革しているかと言えば財政再建に他ならないのです。最近では国家の財政赤字拡大への批判が見受けられなくなりましたが、それ以上に深刻なのが地方自治体ではないかと思います。

 

 地方財政の要となる住民税は人口減少に依り減るばかりであり、それに対して介護や社会福祉などは景気低迷を反映して増え続けていることでしょう。

 

 後10年もすれば財政再建団体になる地方都市は沢山あると思います。それを回避するには、不要な支出を思い切ってカットしていくしかないのです。

 

 それによって恩恵を受けていた人たちからの反発は大きいわけです、特に地方として於いては凄まじいものとなるでしょう。改革派の知事を議員全員で不信任を出すほどに強烈なのです。

 

 これを見ている他の自治体も明日は我が身であることを察しているのではないかと思いますが、そういう自治体には斎藤知事の様な英断を振るえる力のある首長が居ないのです。

 

 でも、居ないから良いのではない。そういう人が居なければもっと悲惨な未来になるという事です。そして、何より、そういうキチンとした首長が居ないことで困るのは地域住民となる。

 

 ある意味、そういう首長を輩出できないという地方の民力の低さから来るものではないかと思います。何も知らないのは住民ばかりという事です。

 

 ご承知のように財政再建団体になると、地域サービスは停滞するし、地元住民はとても困ることになるでしょう。そういう未来が見えないのが地方都市の住民であり、何も考えてない住民たちという事です。

 

 中には兵庫県のニュースを見て、ああならなくて良かったと思う他県の住民も少なくないと思いますが、それは大間違いであり、実態は想像以上に酷い未来が待っていることを知るべきだと思います。

 

 人口減少社会と同時に経済衰退社会という私たち人間がこれまでに経験したことのない時代がこれから来るのです。それは何度も書いているように、人口増加と高度経済成長が起こった時代の反対の事であり、それと反対のことが起こるという事を意味するのです。

 

 毎年収入が減り、生活の質が下がり、これまでに得たモノを失っていく時代。仕事を失い、車を失い、家を失い、そして、家族を失う。

 

 それらを失って呆然とした中で、私たちは最期に、脳の退化に伴い記憶を失うのです。そして、全ては無かったかのように消えてしまう事でしょう。

 

 この目を覆いたくなる酷い未来から逃れる方法は一つです。

 

 それは失う前に捨てるということ。これまでに築いたモノを失う前に自ら捨てることが出来れば、新たに得られるモノを手にすることが出来るでしょう。

 

 失われるモノを守ろうとしがみ付けば、それと共に全てを失って終わることになる。大事なのは自ら考えて行動するという人間本来の能力を使う事です。

 

 時代の流れに乗って漂っていては人間に未来はありません。そういうのは人間ではないのです。環境に支配されるのが人間ではなく、自ら環境を作れるのが人間であることと忘れてはいけないです。