中野サンプラザ跡の再開発、計画見直しへ 事業費高騰「着手難しい」
 

 中止に至る背景には建設費の高騰があると言っているが、本当はそれではないと思います。建設費が高騰しているという事は必然的に解体費用も高騰しているのです。

 

 これまでは開発で大きなビルを作るだけで良かったのでしょうが、これからはそういう大きなビルが老朽化して解体するという負の費用が掛かるのです。

 

 閉館して既に一年が経過しているわけですが、その間建物はメンテナンスがされていないので老朽化がさらに進んでいることでしょう。

 

 都内を見れば分かるのですが、未だに巨大なビルが沢山作られており、そんなにオフィスや住宅の需要があるのだろうか?と思うのです。

 

 今やリモートワークやワーケーションにノマドワーカーなど、オフィス需要は下がるばかりであり、企業もそういうコストを減らして地方に移転したり、使用するスペースを減らしている。

 

 新しいオフィスビルを見ても空室が目立つし、住宅に至っては殆ど住んでないような高層マンションも見受けられるわけです。それらは投資用不動産となっているのかもしれませんが、需要のない居室に投資の価値があるのかという単純な疑問が残るわけです。

 

 今回の開発中止にはそういう要因が影響しているのではないかと思います。従って、例えばオフィスや住宅などを排除し、コンサートや演劇や大きなイベントが出来る施設に変更しようとしているのでしょう。

 

 しかし、それはそれで固定収入がなくなるわけで、これから少子化と人口減少していく社会に於いて投資が回収できるのかと言えば疑問しか残らないでしょう。

 

 その検討にどれくらいの時間を要するのか分かりませんが、状況は刻一刻と悪化していくわけで、去年のデータで計画を始めて3年後に完成した時には採算が取れないという事態になる可能性は極めて高いと思います。

 

 それに区が絡むとなると、その負債は税金から補填することになるわけで、負担が地域住民に及ぶ可能性もあるのです。東京は建物の老朽化も進んでいると同時に人の高齢化が甚だしい都市であり、地方から多くの若者が流入しているので目立ちませんが、至る所でゴーストタウン化が進んでいるのです。

 

 中野サンプラザは何とか解体できたとしても、この先はドンドンと厳しくなり解体することが出来ない巨大ビルが出てくる可能性は高いと思います。

 

 そういう中でも巨大オフィスビルを作り続けている現状を見て恐怖を覚えるのは私だけなのでしょうか・・・・

 

「人生100年」時代は来ない 米研究、寿命延長鈍化
 

 これを研究と呼んではいけないと思います。単なる観察発表。小学生の時に出た朝顔観察と同じレベルです。今の現状を調べて発表するだけ。

 

>10年につき3歳のペースで寿命が延びたが、最近30年はこの

>水準を下回っている。

 

 こんなことは小学生だって分かること。言い換えれば、大学生が小学生と同じレベルだという事です。学び始めた小学生から全く成長していないという現状を示すものです。

 

 問題は、その現状を学者が全く気付いていないという事。

 

 調べて発表することを凄いと思っていることでしょう。大事なのは観察記録ではなく、何故、そんなことが起こるのか?という原因を探ることにあります。

 

 これをやるのを大人と呼びます。何故、これをやるかと言えば、それを改善する方法を見つけるためという事です。

 

 つまり、学者はそれが出来ない子どもに過ぎないという事です。

 

 この現象はいまさら言うまでもなく「学校で勉強するからバカになる」という本で書いていますので、もし、興味があれば読んでみてください。

 

 原因は既に何度も書いているように、認知症という脳の退化に依る脳死が増えているとことにあります。それは既に30年も前から始まっているという事かもしれません。

 

 バカになるというのは脳を使わなくなるということ。その結果、脳が劣化し退化を始めることで脳細胞が消失し、認知機能が低下して最後は死に至るという事です。

 

 ネットで検索すれば分かりますが、既にWHOは今後の認知症患者の増加を警戒していると思います。しかし、何故認知症が起こるのかというメカニズムを誰も知らないのです。

 

 何故、知らないかと言えば考えないからです。学ぶことしか出来ない人間は考えられないので、新しく起こった問題の理由を知ることが出来ません。

 

 だから、問題解決が出来ない。それが人間を苦しめる最大の原因だと思います。

 

 65歳以上の高齢者に急激に広がっている認知症ですが、その原因は学びにあるわけで、学校教育を受けさせられる小学一年生から既に始まっているという事です。

 

 私も65歳ですが、昔は今ほど勉強しろとは言われてないのです。学校の教師の質も悪く、いう事を聞かない子どもたちが多かった。

 

 しかし、今日では教師の質が上がり、教育環境も充実したことから学びの優先順位は圧倒的な1位というレベルではないかと思います。

 

 つまり、学ぶ癖がとても強いという事。従って、今の老人より脳を使ってないという状況があり、老人がなる認知症は何れ若い世代でも始まるという事です。

 

 このまま行けば、人生100年どころか50年という時代がやって来ることでしょう。しかも、自分が何時認知症になるかビクビクしながら生きていかなければいけなくなるという悲しい時代となる。

 

 学校教育を止めて学ぶことを止めないと、日本人は後100年も持たないと思います。人類全体も学校教育の充実が進めば日本を追いかけることになるでしょう。

 

 もちろん、学校教育の充実した国が最も認知症患者が増えるわけで、学校教育の海外情勢を知らないので、どの国が一番進むかについては明言できませんが、逆に、認知症患者数の伸びが高い国ほど学校教育が充実した国となると思います。

 

 頭が良いと自負している学者たちには絶対に分からないことなので、この真実が表に出るまでには相当危機的な状況が必要であり、認知症患者が街に溢れて社会問題になる時期になるかもしれません。

 

 前にも書いたように、認知症という脳死に至る症状は、人間を徐々に殺していくのですが、脳を殺すのであって体を殺すことは無いので、ウォーキングデッドみたいな世界になるかもしれません。

 

 話が通じない脳死人間は獣と同じであり、最終的に彼らをどうするのかという厳しい選択を私たちは迫られることになるでしょう。

 

 

 ふと思ったので、忘れないように書き留めておこうと思います。

 

 今から152年前に福沢諭吉が「学問のススメ」という本を出しています。これが学生公布の年に出されたのが何とも笑えるのですが。

 

 きっと、日本という国家を維持するために必死に考えた事なのかもしれません。まあ、しかしこの本の中に「天は人の上に人を作らす・・・・」と人間の平等を宣言したことから日本人に学問信仰を言う自滅の道をもたらした恐ろしい本となったと思います。

 

 あれから152年が経過した日本ではどうなったのか?福沢諭吉を連れて来て見せたいと思いました。こんなにモノの溢れる豊かな世界を作ったのに、江戸時代より酷い格差社会となったの見て彼は何と思うのでしょうか?

 

 今から振り返れば、小学生レベルの浅知恵しかなく、人は学ぶことを賢くなれると思い込んでいただけの事だったことを痛感させられるのではないでしょうか?

 

 きっと、自分が放った言葉に大きな後悔をもたらすかもしれません。まさか、自分が正しいと思ったことでこういう未来が出来るなんて発狂するかもしれませんン。

 

 私たち現代人は、福沢諭吉が知らないことを山のように知っているのです。でも、学校では福沢諭吉が偉い人だと習い、彼を見習えと教えられるのです。

 

 この現実という真実を知っていても、それを知らない人のいう事を聞けと・・・・昔の偉人とは全てこの程度なのです。私たち今を生きる人間が何倍も知っている。

 

 だから、これをどう変えて行くかは自分たちで考えて行動する他ないのです。この目の前に突き付けられた現実をどう変えて行くかが私たちの生きる意味なのです。

 

 前置きが長くなってスミマセン。

 

 そこで、この「学問のススメ」に対抗して「恋愛のススメ」という本を書こうかと思うのです。今や若者たちは恋愛難民とかしつつあります。

 

 そうなったのは勧められるままに学問に徹したからなのです。学生の本分は勉強だという人は沢山いると思います。

 

 しかし、私は「学生の本分は恋愛」だと思うのです。

 

 何故なら、人は恋をするととても素敵になるから。それは恋の世界が人にそれを教えてくれるからだと思います。恋をすると不思議と胸の辺りが押さえつけられるような苦しみが出ます。

 

 これが何で起こるのかは知りませんが、あの胸の苦しさは何とも言えない心地良さを伴っていると思います。それは人間が人間であるから得られる心地良さかもしれません。

 

 恋の病ちう言い方をする人も居ますが、あれは病ではなく人を人として育てる薬だと私は思うのです。恋に依って他人を思う気持ちというモノを知る。

 

 これを知らないと人間として成長はないと思います。知識や情報をどんなに知っていても他人を思う気持ちを知らないと人間として成長しない。

 

 特に昨今は少子化と非婚化が進んでいるわけで、それを阻止するためにも「恋愛のススメ」は必要不可欠ではないかと思います。あの思いがあったからこそ今の自分がある。

 

 人が人を好きになるという奇跡の体験を経ずして人間としての生きる意味と価値は大きく削がれると思うのです。人を好きになることで経験することは将来大きな財産となります。

 

 学校で学んだことは全部忘れるので何の財産にもなりませんが、その時代に純粋に恋をしたことは一生忘れることは出来ない貴重な財産となることでしょう。

 

 人間として生きるとはどういうことなのか?これを知るためには人間としての経験を一つずつ積み上げていくことが何より重要だと思うのです。