教育費って、結局いくら貯めればいいの?「1人500万円」の根拠と内訳(ESSE-online)  

 

 

 金でモごとを済ませるほどダメなことはない。と思う人は今や少ないのでしょうか?

 

 愛する子にたくさんお金を掛ければ、愛情を注いでいることになると一体誰が教えたのでしょうか?きっと、先生や教授ではないかと思います。だって、親がそうすれば自分たちが儲かるから^^;

 

 しかし、お金で済ませるというのは実は最低の方法なのです。何故なら、自分ではやらないという事だから。他人任せという言葉は日本では無責任とイコールではないでしょうっか?

 

 子育てを他人に任せる親の気が知れないのです。

 

 何故なら、他人は我が子にそこまでの責任はないから。そういう無責任な人間にお金で頼むわけで、そりゃ酷い結果をもたらすことになるのは仕方ない事ではないかと思います。

 

 酷い結果とは、先ず、子どもが幸せになれないという事です。だって、そういう人たちは幸せを教えないし、そもそも幸せが何かを知らないから。知っているのは金持ちになれば幸せになれるという嘘だけです。

 

 子どもが幸せになれないという事は、当然、親も幸せにはなれません。そもそも、大事な我が子を無責任に他人に押し付ける親が幸せになれるはずがないのです。

 

 お金で済ませる人間はバカになるのです。むしろ、バカになっているからお金で済ませるしか出来ないと言えるでしょう。要は、自分でどうすれば良いかが考えられないし実行できないという事です。

 

 前回のブログを見返せば分かると思いますが、大人とは不安のない何でも対処できる人間です。そういう大人にお金は当然ながら必要ないでしょう。

 

 頭が良いというのはお金を使う必要のない人とも言える。つまり、現代人はみなお金に依存し居ているわけで全員がバカと言っても良いのです。結局、この世に大人は存在しない。

 

 かつて一世を風靡したアダルトチルドレン国家という事になろうかとお思います。もちろん、それは日本だけではない、世界中がそうなっているのです。

 

 だから、世界中は問題山積であり紛争が絶えない。人間という英知の結集が作る世界とは思えないほど社会が醜いのはその為です。

 

 何故、そうなっているかは何度もいうように「学校で勉強するからバカになる」という本を読めば分かることです。

 

 そして、子どもを教育するために子育てそっちのけで塾や学校の費用を捻出するという実に哀れな状況となっているわけです。

 

 どうか考えてください。もし、親が子をキチンとそだてられれば、教育費はタダなのです。もしきちんと社会生活を送れているのなら、それくらい出来なければいけないのではないでしょうか?

 

 つまり、多くの親はキチンと社会生活が送れていないという事です。それは何故かと言えば、お金に頼っているからに他らない。従って、お金が無くなれば人生終わるのです。

 

 実に陳腐な脳であると思います。この生命界にあって最も偉大で有能な脳が、そんなことも出来ないくらいに退化しているのか?そりゃ、うつ病にもなるし痴呆症にもなるのは仕方ない。

 

 こうなったのも、くだらない教科学習しかさせない学校教育のせいなのです。本当に大事なことは一切教えて来なかったことで、こういう危機的状態を生んでいるのです。

 

 もちろん、それでもこれまでは問題なかった。しかし、これからはそうはいきません。多死社会は経済の急激な衰退を引き起こす、人間から仕事を奪っていくでしょう。

 

 安心と信じていた大企業はどんどん倒産し、倒産を回避できたとしても縮小され多くの人が仕事を失う。要は、これまでの命の綱だったお金を稼ぐ方法が消えていくいのです。

 

 そして、それは50年先100年先という遠い未来ではない。下手したら10年、いや5年、それよりも早くなるかもしれないのです。当然、今な子どもたちはそういう世界で生きることになる。

 

 そういう子どもたちに、今と同じ教育をして生きていけると思いますか?

 

 それを考えるのが親の責任だと思います。当然、学校や塾はそれを考えてはいません。何故なら、それを考えていたら学校も塾も成り立たないからです。

 

 今あるコンテンツは、今の環境が作ったモノであり、環境が変われば当然消えていくモノなのです。そういう当然を理解して欲しいと思います。

 

 今ある当然は、環境が変わることで消えるのが当然となる。

 

 要は、当然というのは全く当てにならないという事です。

 

 そろそろ、お金を使って何かをすることは止めませんか?そういう時代は間もなく終わります。